「牧羊犬と家畜羊」とシステムプログラム

過去に、安倍首相は「美しい日本」を取り戻そう!

という本を出版した。

当時のわたしは「美しい日本」の暗部を知っているので、

「美しい日本」があった時代なんて、

果たしてあったのだろうか?

と、大いに訝った。

現代調査をしていて、

紀元前から悪魔崇拝が存在しているのに、

「美しい日本」があった史実があろうはずがない。

だからといって、

悪魔崇拝さえ、わたしは存在を認め

呼吸をただ、感じる。

では、

安倍首相・麻生の理想は何か。

何者かに安全と生存を保障された条件の下で

「牧羊犬と家畜羊」の頃の、よき関係をいっているのだ。

安倍の祖父は、その関係性に成功したからこそ、

安倍首相に「美しい日本」空想を植え付ける結果に

なったのだろう。

安倍首相も麻生も、洗脳されている人形なので、

国民がこれらの者を叩いても、全く意味がない。

システムプログラムを変えない限り、

荒唐無稽な演劇舞台を繰り広げるにすぎない。

こんな簡単なことに気づかないから、

国民は「家畜羊」の扱いを受けるわけだし、

「牧羊犬」を登場させるはめになる。

「牧羊犬」役は、

一番最初にシステムプログラムを見破った「家畜羊」がふさわしい。

「牧羊犬」は、実は、元々は反政府的存在だった。

反政府的存在が「番犬」として、取り込まれる手法は

ジェームズ・クラベルの短編小説にある。

「23分間の奇跡」

をヒントにすればよい。

日本の世にも奇妙な物語でも

「23分間の奇跡」の方が気軽だ。

23分間の奇跡

The Children's Story - James Clavell


安倍首相の祖父岸信介は、売国奴と呼ばれるが、

「牧羊犬」の聡明さをスカウトされたのだろう。

だれかを悪とする考えは古い。

そもそも、必要悪だ。

「家畜羊」こそ、だれかや神の奴隷になりたがって、

何も考えず、すぐ、楽しようという怠け根性を捨て、

たとえば、衣食住に根ざす、ちいさなことを大切にする。

たとえば、自分が使ったコップを自分で洗う。

たとえば、自分のパンツは自分で洗う。

当たり前なことをするだけだ。

人間自らが「家畜羊」を放棄する。

そうした人間数がある基準値に達したとき、

システムプログラムも変わる。


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