三島由紀夫の人生設定⑤

三島由紀夫のターニングポイントで影に呼ばれた地点。

「1965年(昭和40年)初頭、三島は4年前に発表した短編小説『憂国』を自ら脚色・監督・主演する映画化を企画し、4月から撮影に入り完成させた。」

小説「憂国」。


これは、そこらへんの学校出の、

一般アリの作家が書くのとは違って、

アースエンジェルくんである、

三島が書いてはいけない作品です。


小説「憂国」を分解すると、

「エロス」と「タナトス」。


男性のたってのご希望のあの世まで一緒という夫婦愛の形。

「殉教の美」


ここらへんがテーマだと思われます。

三島は、大切な人たちが次々となくなるという環境に生きていたから、

「タナトス」という本能と「美」か結合し、

人生の完成に、是が非でも、

最期の点を打ちすえたかった、という彼の欲望を感じます。


ウィキには、このような文章もありました。


「三島は、〈一体自分はいかなる日、いかなる時代のために生れたのか〉と自問し、〈私の運命は、私が生きのび、やがて老い、波瀾のない日々のうちにたゆみなく仕事をつづけること〉を命じたが、胸の裡に、〈なほ癒されぬ浪漫的な魂、白く羽搏くものが時折感じられる〉と綴った[314]。」


ここに、波瀾のない日々のうちに。。。とありますが、

人生設定としては、アースエンジェルの一部は、心配ご無用なのですがね。

変化しつづける。または、変化しつづけるように神に仕向けられる。

アースエンジェルは、そういう役割です。


ポエマーで目にいっぱいためて、うつむいて、自分の心をみつめた公威。

「(心が)純潔でありつづける。」

それがゆえに、完璧を期待して公威の人生を早々に破壊した。

心は複雑です。


このような記述もあります。

「〈英雄たることをあきらめるか、それともライフワークの完成をあきらめるか〉の二者択一の難しい決断が今年は来る予感がするとして」


ひとくくりとして、紐解きますと、

みんな(三島の場合、日本国に執着しています。)のために

身と心を捧げたいという心

わたしとしては、三島くんの美しい心の作品を

さらに、この世に編みだしてくれること。

殉教の美より、その方がずっとずっと、日本国のためになったかと。


「憂国」から流れが一挙に変わります。

書いてはいけない魔術書のようなものなのですから。

高校生が三島をたずねてきて、「先生はいつ死ぬんですか?」と問われる。

これは、誘導されています。

三島の心にある神が誘導しているのか、天空の神からか、わかりません。

この時期に、自衛隊に入隊したり、

ぴったりにタイミングで奇跡的に、

殉教へのささやき役である、森田必勝という青年に出会う。

森田必勝は、三島もいっているとおり、

あのころの純粋無垢な自分そっくりだったとされる。

そして、あのようなイベントが展開された。


森田必勝と三島がやったことは、

太宰が山崎富栄とやったことと、

形は違えど、同じことなのだ。


太宰と三島は、双子だ。


わたしは、三島の人生設定で腑に落ちないことがある。

どうして「憂国」を書かないといけなかったのか?

書かされたのか?


二つある。

一つは、神様からの最終試練である。

「自分というものを天に捧げる。」

自分を抹消する。

でも、この場合、肉体は生きるという矛盾に耐えるという修行

なのか、

もう一つは、因果応報。

心に背いて、

仲間になにか背負わせてしまうことがあったとしたら、心の法則発動です。

自分の中の神に影に誘導されるのです。


ウィキをながめていても、そのような記述はありません。

敢えて、あるとすれば、

二か所。

①「本籍地の加古川で徴兵検査を受けたのは、〈田舎の隊で検査を受けた方がひよわさが目立つて採られないですむかもしれないといふ父の入れ知恵〉であったが[15]、結果は第二乙種で合格となった(召集令状は翌年2月)。級友の三谷信など同級生の大半が特別幹部候補生として志願していたが、公威は一兵卒として応召されるつもりであった[39][15]。それは、どうせ死ぬのならば1日でも長く1行でも多く書いていられる方を平岡が選んだのだと三谷は思った[39]。」

②「同年2月6日、髪を振り乱して泣く母・倭文重に見送られ、公威は父・梓と一緒に兵庫県富合村へ出立した[46]。風邪で寝込んでいた母から移ったせいで、気管支炎を起こし眩暈や高熱の症状を出していた公威は10日の入隊検査の折、新米の軍医からラッセルが聞こえるとして肺浸潤と誤診され即日帰郷となった[46][34][135]。その部隊の兵士たちはフィリピンに派遣され、多数が死傷してほぼ全滅した[34]。」

本当に、これが事実なのだろうか?

何か隠された事情で三島が生き残ったということがないだろうか。

三島がコンプレックスになるほど、

後ろめたくなるようなできごとがあったとしたら。。。


自分だけが生き残った。→ 殉教の美


ここに、ジャンピングするのは、心のカテゴリーの私にはわかりません。


自分だけが生き残った。→みんなのために寿命まで生きて、役に立とう。亡くなった友のために。


わたしなら、そう思う。


三島は、小さい頃から謎の制限だらけの人生を送って、

戦争の時代、妹や友や慕っていた先輩、太宰をいい形じゃなく喪失して、

「死」が彼の救済場になっていたし、

小さいころから試練に耐え、

ずっと「死」に憧れていたのかもしれません。


アースエンジェルが本来の寿命にかかわりなく、

(それも一つの宿命だとしても)

天空に帰ると、何が起こるか!

みてごらん。

「死」の連鎖がはじまります。

もしかしたら、

三島もこの時代の

アースエンジェルの「死の連鎖」に巻き込まれた可能性も否めません。

「最後まで辛抱して生きる。人間として。」

これがわたしたちアースエンジェルの仕事です。

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