わたしは「ルネ・モンシャティ」→画家→ルネ・マグリットの絵の中にあった!→レイが本当の名
☆追加 2024/6/30
renee monchaty
Portrait of Mademoiselle Renee Monchaty - Bilder, Gemälde und Ölgemälde-Replikation (oel-bild.de)
↓ピエール・ボナールの「ルネ(レネ)モンシャティ」の肖像画だが、
これは、ルネではない、別の、紺碧の瞳に金髪の女性ではないだろうか?
![](https://assets.st-note.com/img/1720999319082-D8D4UAsIBv.png?width=1200)
monchaty
この苗字が苗字ではなく、渾名か芸名のようなものだとしたら?
mon chat ty(接尾語) オス猫の男性名詞
すなわち、
renee の女性名ではなく、
日本語で紹介されている「ルネrene」だとしたら、
「ルネ・モンシャティー」は、31歳で夭折しているらしいのだが、
若い青年だったのではないだろうか?
もしかしたら、LGBTの雌雄同体の、
神話をなぞらえるなら、「ヘルマプロディートス」だったかもしれない。
あるいは、
胸のふくらみが確認できないが、
ルネ・マグリットのある特定の画風にあるように、
社会的風刺をこめる意志ある、男性的な考えの若い女性だったかもしれない。
繰り返す物語、
わたしは、ルネ・マグリットのような、
顔をコーヒー皿とカップで隠して、黒いハットと黒とネクタイの装束を二体、
描こうとしていたのだが、
それは、1999年ごろの、26~27歳の未完成の油絵だった。
とすると、
ルネ・モンシャティも、その年ぐらいに、
「人の子」というタイトルの絵を描いたのではないだろうか?
(ルネ・マグリットの正体は、小さいときに、クローン入れ替えをされて、
エッシャーといっしょに、メッセージを届けるための、クローン人間であり、
なりすましだったと思われる。
有名なルネ・マグリットの絵は、ピエール・ボナールといっしょにいた、
ルネ・モンシャティの作品だったと思われる。)
わたしのシンクロニシティーでは、
ボナールという建物の通りを歩いていたり、(2018年ごろ)
ボナールというケーキ屋が和歌山にいたころ出会ったり、
埼玉の現代の、近くのマンションで、何度も、必然ですれ違う、
ピエール・ボナールを和風にしたような男性(ひげは生えてなかったけれど)
やはり、別の女の人と夫婦だった。
その女性に依存するような雰囲気の、口数の少なそうな、男性だった。
繰り返す「ピエール・ボナールとルネ・モンシャティ」の物語が、
わたしと知らない夫婦連れにも、起きていた。
シンクロニシティーを解読すると、
やはり、
今回、わたしは女性に生まれているが、
「ルネ・モンシャティ」の遺伝子が、わたしの中にいる。
![](https://assets.st-note.com/img/1720999341730-fTxNw2WgrV.png?width=1200)
タイトル(人の子)
うっすらとルネ・モンシャティと同じ「ブルーの虹彩」が、
青りんごの奥に見え隠れしている。
これは、ルネ・モンシャティが社会で求められる、クローン人間(=ロボット人間)を、
強く否定したイメージだ。
やはり、これは、ルネ・モンシャティ自身の、
埋没された個性をもつ、自分であろうとするから、こういう作風の絵になるわけで、
そのもがきや暗澹たる雲が、未来の暗さを感じ取っていたのではないだろうか?
でも、澄んだ水色の水辺は、モンシャティーの瞳が、
暗がりの中での、真実や純潔な未来も、同時に見ていたのではないだろうか?
やはり、
ルネ・モンシャティは、繊細な若い美青年で、
絵をたしなむ、あるいは、画家を志す、妖艶な風貌から、
酒場か何かで勤めながら、絵を描いていたのだろう。
ピエール・ボナールとは、画家の仲間、あるいは、プラトニックを含む、
恋人だったかもしれない、と、わたしは感じる。
また、
1925年8月11日(太陽信仰お願い日)+2日後、
祝の呪詛→ボナールとマルトは、結婚
呪の呪詛→9月9日、パリでルネが浴室で自殺(ではない!)
ボナールがドアをノックして、誘い役だったかもしれないし、
そうではないかもしれないが、
1925年9月9日の、99の呪詛指令が出たのだろうか、
ルネ・モンシャティは、ボナールとの久々の再会の約束でもあったのだろうか、
あるいは、派遣された人物たちが訪れ、
冥界の扉を開けしまい、浴槽で殺害されたようだ。
パリにて。
よく都市伝説である「開けるな!」は、本当に開けてはいけないのだ。
冥界のクローンたちが、扉をノックするから。
それに、若い、ルネ・モンシャティは、知らず、開けてしまった悲劇。
99ということから、
ルネ・モンシャティは、百-「一」=白
純潔の、白人王家「レイ」のDNAで、しかも、雌雄同体の美青年だったと思われる。
9次元の裏表を不正で作ったゾンビ銀河連合の代償支払いで、
宇宙創造者「5」のルネ・モンシャティは、この世から消されてしまった。
そして、
1925+宇宙創造番号「20」=1945年
記念トロフィー(聖杯=棚からぼたもち)のような、1945年の第二次世界大戦終戦までの、
エネルギーとして、ルネ・モンシャティの遺伝子は、使われたと思われる。
20年も前に、計画された、秩序的殺人事件だと、わたしは判断する。
王家遺伝子全滅→新しい文明を量子コンピュータからもらうための遺伝子材料
この目的のための、まるで、草刈りや花摘みをするような、
王家遺伝子狩りが、第二次世界大戦の正体だ。
戦争ではなく、王家遺伝子ジェノサイドだったのだ。
結婚前の1916年、ボナールは、彼より一回り年下の金髪の娘、ルネ ・モンシャティと愛人関係になった。
1921年、ボナールはモンシャティとマルトの二人の女性をモデルとして「庭の若い女性たち」(図2)を制作、この絵は長い間画家自身が秘蔵し、マルトの死後加筆された。モンシャンティが中心に大きく描かれ、マルトは右端に追いやられている。ボナールは1921年にモンシャティを訪ね、ローマにも滞在。それでも健気にボナールを待ち続けるマルトに胸を打たれ、ようやく結婚したとも言われてる。しかし、1925年8月13日にマルトと結婚後、9月9日にパリでモンシャティは31歳で自殺。浴槽で亡くなった彼女をボナールが発見する。ボナールの三角関係① ル・カネを歩きながら - フランス散歩 芸術家や歴史を訪ねて (fc2.com)
![](https://assets.st-note.com/img/1720999397387-jVBKkj8CUb.png)
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↓
この絵から、前から思っていたことだが、
「シュレーディンガーの猫」のアイデアは、
女性のものだ。
わたしが「シュレーディンガーの猫」の基礎アイデアを出したことも、ここに記す。
ニュートン(わたし!女性だった!)かもしれないし、物理学を志す女学生だったかもしれないが。
![](https://assets.st-note.com/img/1720999440263-WScKKNQJin.png?width=1200)
ルネマグリットの絵の一部、
それは、わたしの絵だった。
ルネ・モンシャティ
ボナールの愛人ではなく、わたしが恋人だったと思われる。
同じく画家
↓わたし(の中の遺伝子、前世の1人)
![](https://assets.st-note.com/img/1720999459888-UPOgClfJHw.png?width=1200)
絵画の場合は、
ピエール・ボナールの愛人「ルネ・モンシャティ」
描きかけのまま、
久我美子夫妻→と春秋・冬を盗み隠した凶悪犯罪者→ゾンビ銀河契約者 | #04FFE7 (ameblo.jp)
わたしは、何度も、赤い林檎の絵を描いている。
青りんごではなかったが。
renee(ルネ・モンシャティって、男性名?レネ、レニかどちらだと思うが。)
ルネやレネではなく、
「レイ」
これが本当の名
ルネ・モンシャティの本当の名前→レイ
(ももいろクローバーの高城れに、こいつは、
reneeから、スパイの名前として、「れに」と、わたしの役割「レイ」になりすました暗号鍵をもつ、
また、呪詛師だと、理解した。
そうそう、ロシア系スパイが、高城れに、の正体だと思われる。「レーニン」
でも、「レーニン」さえ、reneeからの「レイ」由来の暗号人物だったんだ。
二重三重、四重、五重と暗号鍵は、最初を辿るのが困難になっていた。
奇しくも、
フランスのルイ王家は、実は「レイ」ということと鍵穴と秘密の扉がピッタリ合った。
「レイ」「礼(義)」→「霊」→0(数字)≠O(王ではなく)
大切なものは、霊体(宇宙分子)
そうだったんですよ!
高城れにの名前の由来は?レーニンからとったって本当!?本名も調査! | Luna可愛いもの好きなライフスタイルブログ (luna-kawaii-life.com)
楡の木→レニからニレ
高校三年生
わたしの母校では、当時、「高校三年生」の渋い、時代錯誤の歌のリズムで、
体育祭で、フォークダンスを踊るのが、伝統だった。
理系女子が少ないので、上級生に駆り出され、2年連続、わたしは「高校三年生」を踊ることになった。
今でも歌えてしまう「高校三年生」の歌詞で、
楡の木陰(ニレ)→レニ→レネ→ルネ→ルネ・モンシャティ(モンシャティって、かわいい猫ちゃんて、
フランス語でいうそうだけれど、そんな苗字ある?隠されている苗字がレイだった)
「ぼくら離れ離れになろうとも、ぼくらクラス仲間は、いつまでも!」
わたしが大好きな部分だ。
いったん仲間(きょうだい、家族)になったら、ずっと、ずっと、心に住んでいる。
小さいころ、一回楽しく遊んだら、引っ越していっても、
わたしのことを忘れても、亡くなっても、
わたしの、ずっと、「友だち(きょうだい?)」だった。
クラス仲間だけでなく、すれちがった生徒も、そうだったな。
いっしょに遊ばなくても、みんな、覚えている。
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