魔女=絶望の感情「魔法少女まどかマギカ」第8話から

「魔法少女まどかマギカ」を観るのが楽しい


全国のお父さんお母さん!

子どもが大好きなことを一緒になって

大好きになって応援してあげることは、

子どもの自分信頼につなげることができます。


(え?コンナモノ?でも、のちのち何かに変化するかもです)

ということも子育てファクターでお伝えしておきます。

(だからといって、一日中、画面遊びは、させません!)


「魔法少女まどかマギカ」第8話

この物語のすごいところは、

真理メタファーがいたるところに、

ちりばめられています。

古典文学作品と同様に、

現実そのものをアニメという作品に織りこんでいるにすぎない。

進化した児童文学という新しいジャンルかもしれません。


第8話から私の体験と織り交ぜにしてお伝えするとすれば、

魔法少女たちが戦っている魔女というのは、

絶望という感情そのものです。

魔女=絶望という感情

魔女と戦うということは、絶望という感情の波に飲み込まれない!

という強い心なのです。


強い心といいましたが、もう一種類、

生き残る方法がありました。


魔法少女に一番合っているとされている「きょうこ」は、

「この(霊能)能力を自分が生きるためだけに、

つかうのさ。」

といっています。

その方が楽ですから。

あきらめという感情からかもしれません。

「きょうこ」はグレてます。

でも、わかります。

時として、アースエンジェルは、「グレないとやってけないよ」

という気持ちになる日もありますから。


今回、

さやかちゃんは、絶望の感情から、うまくプラス転化できず、

呪いという行為を行ってしまっているという。

彼女は、アンデルセンの有名な一つの物語人魚姫のように、

助けた恋にも似た気持ちの相手が

全然違う女性と仲睦まじくなった。

一方、

自分は、魔法少女という人形と化して、

魔女と戦っていくという宿命を背負う悲しさを

嘆きはじめたのです。


私は、「ああ、さやかちゃんは、私の母親によく似ている。」

と思いました。

アースエンジェルの女の子には、よくある設定で、

自分だけが一時的にしんどい思いをさせられるように

感じるのです。

「マグネティック現象」で、そう思えば思うほど、

どんどん負のスパイラル人生に身を置くはめになるのです。

それなら、いくらかマシで、

現実でもアースエンジェルたちが、

絶望の象徴、魔女との戦いで、

命を失っているのは事実であり、

現実です。


さやかちゃんの未来も暗示されているような8話でした。

この世で一番魅力的であり、

唯一の救済の道に見えて、

万能の道に見えるのが、

自分の肉体を消滅させる行為。


これだけはいけません。

理由は、死は何の魂の助けになりませんから。


生きてこそ。

生きている人間しか、プラス転化できません。


それどころか、私もそうですが、

生き残っているアースエンジェルたちが

引継ぎもなく、仕事の効率化で、また最初から

やらないといけないので、手間暇や時間がかかります。


亡くなったアースエンジェルたちも呪詛になるような、

変なねがいをしていなければいいのですが・・

変なねがいをしている場合、

地球上にしか存在しない、アクと呼ばれる仮想霊団の

マトリックスに仲間入りする確率もあります。

そうでなければ、

赤いアザで、前回の終わり方を仲間に証明しながら、

赤いアザは、いろんな意味があります。

自分の肉体を消滅させる行為も一つの理由です。

すべてが同じ理由ではない。


次の人生は、肉体的にその場所からリスタート。

要するに、肉体が便利とはいえないかもしれません。

または、

前回の人生(前世)で人生を降りたその日に、

肉体をそうされることで、また、新しい浄化による

プラス転化を余儀なくされるかもしれません。

これらは、実際、私が見たり、遭遇した仲間たちの人生であり、

現実です。


アースエンジェルは、正常に機能していれば、

毎日毎夜、このようにして、魔女=絶望と戦ってくれている

私は感じます。


できれば、ユーモアでもいい、

教訓でもいい、

作品でもいい。

プラス転化をして、世にのこして、

仲間となるべく、戦わずして、

それぞれの人生を寿命まで放棄せず、

淡々と生きていく。

それが一番よい道だと私は感じます。



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