名前には自分アイテムの暗号が隠されている。

自分の名前の語源が気になってしょうがない。

よって、ネットで調べてみることにした。

「稲の神がおりてくる」意味があるそうです。

親も稲関係の漢字ついてるw

そして、名前でいろいろつながってくる。


おもしろいのが、

わたし、お友達がいつも同じ名前。

興味ある人も似た名前。

わたしがこの世で必要なアイテムだということ。

友達は小さいころから「知」がつく名前の子ばかり。

「とも」読みの子が多いんだけれどね。

「知」は、ひらめきを知らせる。

この世のいろんなことを「知」って

「知」らせることがわたしの目的なんだと思った。

「ゆき」がつく子たち。由紀 雪 いろいろだけれどね。

祖母の名前も。今、思い出した。

ちょっとひねって、「勇気」。

わたしが今生で体得すべきものは、それらなんだと思った。

「知」と「勇気」がわたしに必要なことで、世の中に必要とされること。

だと感じるというより、確信的心境です。


それと、最近、わたしの子が言葉宿りし体験をした。


子「よくね、鏡ってわたしの名前よばれた気がする」

私「ハッ!」


子どもの名前を決めたのは、わたし。

この子の名前は、音の響きで今まで聞いた名前の中で、

一番きれいだった音から決めようと、

記憶から名前たちを掻きだした。

同窓生のお姉さんの名前を聞いたとき、

伝統ある名前だけれど、

新しいという穴場の名前だったことも手伝って、

響きの美しさに感動した。

よくありそうでない名前だった。


その名前の響きが「鏡」と似ているということは、全くきづかなかった。

おもしろい。

わずか、数分で決めた子どもの名前だった。

実は、わたしが子どものころ一番の友達は、

三面鏡の鏡だったっていう事実がある。

唯一の友。

母の親友は、牡丹のような形の河原石というより、岩。牡丹岩。

人間が親友でないところが、悲しくもおかしい。

しかも、親子二代。


どこかに牡丹岩が村から運ばれるときも、

直感として牡丹岩に母は呼ばれました。

牡丹岩にお別れをするためなのか、遠い村まで私を連れて帰省した。

わたしもその時のことは覚えている。

素っ裸で河原で遊んだ記憶ある。

ドナドナドーナドーナ♪の岩のバージョン

ある日、その巨大な牡丹岩は、高貴なその形のためどこかに旅立った。


鉱物は生きている。

石は意志をもっている。


わたしが悲しいとき、

うれしいとき、

おこったとき、

全部、受け止めてくれたのは、

唯一、鏡だけだった。


空も星も満月もあるんだけれど。とりわけ鏡。

おばあちゃん子、おじいちゃん子の方達。

あんたら、ほんと、しあわせだからねーw


わたしの今回の人生

才能「知」

課題「勇気」

技「鏡」

リアルRPG

謎解きゲームだから


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?