東山魁夷さんは僧侶(聖人枠の星☆)

東山魁夷の展覧会を観覧したくなった。

一見すると、茫洋とした絵画面。

近くで彼の絵を観てください。

わたしは、「これは~Σ(・□・;)」

この後の言葉を飲み込んでしまいました。

スーラやジョバン・セガンティーニの絵の技巧のように、

点描画さながらの細やかさ。


彼の場合は、彩りも、構図も全体を計算していながら、

筆をとっているのです!

わたしは、驚きを隠せませんでした。

彼の筆の一呼吸、一呼吸を感じるまでの、繊細さ。丁寧な作業です。

連綿と続く、呼吸を乱さない作業。

東山魁夷の言葉に、

「祈らずにいられないことがあった。」とあります。


彼の筆に生命エネルギーを吹き込む姿は、

「祈り」だったのです。


わたしは、感じました。

「この人。聖人枠であり、立派な僧侶だ!」

(こういう人に「立派」と使いましょうね!)

僧侶としてのあるべき姿は

なにも、

御経を唱える

頭を丸める

作務衣を着る

という形だけのものではありません。

その生き様であり、

その人ならではの才能を使うことだと思うのです。

(二代目サイババさんのように、手品師でもいいよ)


東山魁夷は、油絵を独習していたらしいけれど、

東山くんのパパが日本画でないと

認めないとか言いだして、

絵が描けたらいい!と日本画に変えたらしいです。


つづいて、

東山魁夷くんも聖人枠です。

小聖人や中聖人、大聖人が世界中に

散りばめられていると思いますが、

彼は、「聖人の鑑」だと思われます。


聖人枠の人は、壮絶な絶望を一回だけではなくて体験するわけですが、

聖人枠の人たちは、苦しさのあまり、依存習慣を手にしてしまうのですが、

(依存は、それほどまでに聖人枠はよりどころがなく、

厳しい設定ということをお伝えします。

誰にも聖人枠の代わりをしてもらうわけには、いかない。耐えるのみ。)

東山魁夷くん。なんと依存習慣を見つけられませんでした。


僧侶のように、身をつつしみ、90歳まで生きられたという。

長寿。聖人枠、珍しいです。

もはや、長老設定も入っていたのですかね~。神様に愛された方です!


年表を追って、

わたしは東山魁夷が神様からどんな人生設定を

受けていたかを読み解きます。


聖人枠は、親しい人と離される運命のようです!

39歳で父・母・兄・弟

家族すべてを失っています。


兄と弟は、奇しくも30才で同じ理由で宇宙に帰っています。

結婚も、東山が選んだ相手でなく、

相手からの要望で東山が一度断ったにもかかわらず、

結婚にもちこまれたようです。


この日まで私は知らなかったんだけれど、

川端康成と長らく、親しく交友していたそうです。


もしも、わたしが読み解く、

神様の与える人生設定を

芥川や川端に知らせることができたなら、

あの過激な終点に彼らは行かなかったのではないだろうか?


そういうことで、

実は、お家でわたしは、「川端康成くん」の名前を

偶然にもあげていたからです。

あのような終点を迎えた親しき友を持った東山魁夷。

それでも、東山くんは筆を継続していったようです。


彼の「祈らずにいられなかった。」

切実に、わたしの心に響いてきます。


どれだけ絶望設定を受けたかわからない東山。

たゆまない生き方。

それが人間というものだろうと思う。


聖人枠は世界中、本当はたくさんいることもわかってきた。


聖人枠の作品が長く残るのは、

それはビジネスではなくて、

「祈り☆魂」だから。


そう気づいた。


この世の舞台を退場するときは、

お金やモノは消えてしまうかもしれないけれど、

「祈り☆魂」は、長く残ります。


祈りというのは、

ビジョンが鮮明なもの。


できれば、集団ではなくて、

一人一人が個々に(自分以外のものを)心から祈る。

それが、一番効果があるようです。

その場合は、星☆に願いをしなくても、宇宙や神様に届きますよ!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?