人間は100%判断(ジャッジメント)して生きるもの

人間というのは、100%判断(ジャッジメント)を行います。

というのは、人間はたとえとどまる(何も選択しない選択)にしても、

判断というものを通過儀礼にする機能をもっています。

これと似て、比較というのも、無意識にもやっているものだと思われます。

判断しないと人間は行動にうつせません。


周りの人間を比較して、判断をしてはじめて自分の個性(自分の大切にしている価値観)

が理解できるのです。

ということは、たとえ真逆だとしても、どのような仲間にも、

「感謝」というものが生まれると思います。

(誤解がないようにいうと、悪意を向けられたとしても、

あわれな心の仲間への慈しみを

感じるという自分の心。その心が天空とつながっているという状態に

「感謝」という意味です。

悪意に直接、感謝する必要はありません。)


他人(ある集団でもよい)を判断しなければ、

自分が大切にする価値観はわかりません。

ゆえに、判断は次の行動に対する準備として、大切なのです。


判断はしても、他人に自分の判断からの行動を押し付けることはできない!

たとえ善意でも。ここらへんがキリスト教がわかればよいのですが。。。。

いつもまかれにいってます 

わざわざ教えにいく必要がないのです。

必要ならくるでしょうから。

わたしが長年チャレンジしつづけた、誰かを助けたくても、

はじきとばされたように、

幸福になりたくない人たちから距離をとらないといけません。


だからといって、「近寄るな!」と拒絶するのではなくても、

自然と心が離れる結果になると思います。


最初から他人をニュートラルにとらえようという試みは面白いのですが、

宇宙秩序と地球秩序は違います。

いつも2waysルールがあるということを力説します。

ので、最初からニュートラルということはありません。

判断を繰り返し、エラーがあれば、練り直す。

感情的、体験的には海をただようことになりますが、

そうしているうちに、

ニュートラルの範囲(ピンポイントではないです。)がわかるようになると思います。

それでも、感情の海をただよい続けるのが人間ならではの冒険なので、

それも慣れてきます。

「人間という生き物は、

(自分や周りの)判断を100%します。

なぜなら、次に行動が待っているから。」


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