僧侶合掌の意味→目の前の現象の理由を考えていた
わたしの、余裕がないときの、考えるポーズがあります。
それが「合掌」のポーズ
アゴを両親指で支えて、鼻にくっつける形
無意識でやっていることに、この間、自分で気づきました。
あ!!!( ゚Д゚)
ひらめきました!
私が「合掌」ポーズをとるとき、どういう状態か?
「目の前の現象から、これは何を意味しているか?」
それを考えているとき。
これは、ひらめき💡というより、
証明問題を解いているような感じ。
共通項目を拾って、過去に似たことがないか?
情報検索をして、照合し、ヒントになるものをもってきて、
類推・比較し、結果に導く。
私の脳内は、そのようなことをやっている。
ちなみに、
うちは神棚も作っておらず、宗教に所属していませんし、
神社も一年に二度行くか行かないか、
呼ばれもしないのに神社にいかない主義でして、
「拝む」という習慣は、ありません。
祈るときも、私は「合掌」やっていません。そういえば・・・
要するに、
「合掌」ポーズを無意識に取りこむほど、
宗教的習慣はない。
昔の、徳の高い僧侶も、
目の前の現象から無意識からの「合掌」ポーズをとることが多く、
誰かの相談を受けた時も、そうしていたのではないか?
というアイデアが浮かびました。
それを外の形から真似してみただけの、
近代の「合掌」御利益ポーズとして、
伝播していったルートもあるのではないか?
と私は感じます。
ところで、
「合掌」の本質は?
徳の高い僧侶がありがたいのは、
目の前の現象から神が何をしているのか?理由は?
それを必要な人々に伝えることができるからだと確信します。
形だけの僧侶など、僧侶でもありませんし、遊んでいるだけですね。
役割にない人が連日、神社で合掌をしても、
意味をなしません。
また、僧侶あるある関係で、
九字〇○法とか、生霊ブロックとか忍法みたいなものが
あるようです。わたしは、よくわかりません・・・
動画で拝見しまして、九字〇○法って、
指の血行をよくするための体操かな?と思いました。
指でつくる形が、
栗とかへびとかうさぎに見えてきたから、
指あやとりみたいな遊び?
それとも、
すべての生き物からパワーをもらうという面白い念仏とか?
それより、なにより、
そういえば、
小学校低学年で、
こういう指遊びが男子たちでやっている子いたなぁ。
って思い出した。
九字〇○法って、
誰もが生霊ブロックできると思わない。
霊能力がなければ、全く意味ない。
僧侶って、火を焚き上げてみたり、
大声あげたり、うなったりしてる
トランス状態の、やばい人としか、
私には見えないのですが、
本当は、技術は、なんでもいいんじゃないですか?
火じゃなくても、曲芸のごとく水を操るもよし、
ジャグリングでもいいし。セックスとか?
トランス状態によって、
顕在意識から潜在意識に
アクセスする方法なら何でもいい。
形だけ僧侶に、一体なんのありがたさがある?
御霊がすべて。
御霊は学歴では買えない。
お金でも買えないものだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?