名称未設定

ホラー小説、スプラッタ映画、人が残酷に、理不尽目に合うものを読む人の心理……
つまらない普遍的な日常を生きる中で、本能的に恐怖を求めるような。
非現実を擬似体験することによって、今の自分の安全な状況に安堵するような。
怖いから見ちゃいけないと、危険信号に反発したくなるカリギュラ効果……「怖いもの見たさ」とは言えて妙だ。

……そう。俺、柳陽仁は、ホラーが好きだ。それは、あくまでもそれをエンターテイメントとして、コンテンツとして消費するのが好きだから。画面の向こうの理不尽にドキドキして、自宅で飯と酒を煽りながら、自分は大丈夫だ、安全だという気持ちの再確認をして、ベッドで悠々と眠る。そんな感情のジェットコースターが好きなのだ。

確か、初めはいつものように誰かの困り事から、人智を越える現象の仕業と分かって楓くんに連絡を取り、山奥の廃村を調べていたのだ。村の奥の祠に手を伸ばしたときに、俺は気がついたら山に置き去りにされ、寝転んでいた。そして、全身が火傷の跡に覆われた黒焦げの人間……人と呼べるようなものではないそれらに、覗き込まれていた。
声にならない悲鳴をあげ、黒焦げのソレをかき分けて逃げる。触れた時のギシャリ、とした肌の感触、焦げついた臭い、追いかけてくる数十人が木々を踏む足音、映画を見ている時とは比にならない程心臓が高鳴り、脂汗が額を伝う、全てがリアルだ。
なぜ逃げているのかわからない。こんな不可解な現象に理由がない、どうしてこんな目に遭っているかもわからない。だって、映画なら怖いシーンの前には前振りがあって、理不尽と言われる現象には動機や理由があって、だから、こんなのはあってはならない。
何もわからない恐怖、未知、名無しの現象。今わかるのは、俺がそれに巻き込まれているという事実だけ。
足を踏み外した拍子に、体は宙に浮く。急斜面を転げ落ちて、そして下にあった大岩に背中を強打した。痛すぎて息が吸えない、それでも無理矢理吸って吐いてを繰り返していたら、ごぼり、と口から大量の生温かい何かが出た。横たわっている俺に見えるのは、地面と、赤い赤い鮮血……

「……え」

気付きたくないそれを認識して、この痛みがただ岩に背中を打ちつけただけじゃないことがわかる。恐る恐る顔を下に向ける、グレーのカーディガンに白いワイシャツ、それらは見るも無惨に赤く染まっていた。そして、不自然に、服が出っ張っている……脇腹に激痛が走った。
それでも、ザリザリと何かが追いかけてくる音は止まない。ここからはもう、意識は朦朧としていた。ただ、逃げなきゃと脇腹を押さえて、痛みに涙を滲ませながらよろよろと逃げた。

……そんな走馬灯を見る。
だから自分が、いざそんな舞台の上に立たされた時に思い浮かぶのは「こんなホラー映画、あったなぁ」といったつまらないもの。腹から流れる血液は、押さえている右手なんてお構い無しにジワジワと体から溢れ出る。心臓がどくり、どくりと鳴る度に、身体中に血液を運ぶ。そんな中。血管が壊されている部分から血が流れ出る……至極当然な現象だ。

「……か、えでくん……たすけて」

助けを求めるのは年下の仕事仲間……情けない。
俺は映画の主人公にはなれないかな。

=====

次に目を覚ましたそこは、見知らぬ天井だった。
こう言う時、ドラマでは決まって病院なのだ。すん、と鼻を動かして、病院特有の薬品や消毒液の匂いを認識した。

「まさか、自分がこの体験をできるとは思わなかったなぁ。って思ってるだろ」
「……当たり」

聞きなれた声が隣からしたので、目線を向けないまま、とりあえず答えてみた。すると、いつもの顰めっ面が俺を覗き込む。黒焦げでも数十人でもない、端正な顔立ちで色白で、まつ毛が長い

「楓くん」
「何」
「怪我してない?」
「……してない。アンタと違って」

軽く頭を小突かれて、彼は病室のベッドの隣にあるパイプ椅子にどかりと腰を降ろした。俺が目線をそちらにやると、呆れたようにため息をつく。

「どうせ柳さんのことだから真相が知りたいんでしょ」
「うん」
「……もう廃村は数年前の山火事で無くなっていた。あの村は……というか住人は、火の周りが早く、死んだことに気づかないまま焼けてしまった。だからあの人たちにとって村は”あるもの”だし、自分達は”死んでいない”まま、生きている。僕たちが見たのは幻だね。ちなみに柳さんが触れた祠がトリガー。中には使い切ったライターが入ってた。ここからは推理だけど、村の誰かが起こした悲劇なんだろうね」
「……依頼人は」
「故郷があの村だったみたい。自分が上京してすぐに、村が山火事で無くなってしまった彼女は、悲しみに暮れながらも生活していたのに、生きていると思い込んでいる村にいる両親が、たまには帰っておいでと彼女に電話をした……それが焦げの臭いとして現れた。こんな感じ?」
「……成程。納得だ」
「怪異の名前は”焼けたはずの廃村”にしたよ。……はい、真相終わり」

パチン、と手を鳴らして彼はパイプ椅子の上で足を組み直した。特大説教だろうなと俺は苦笑いを向ける。

「……無事でよかった。滅茶苦茶心配しました」
「えっ」
「また、こうやって話せて嬉しいです」
「……恨み言は?」
「言って欲しいんですか?」
「い、いや……そうではないけど、拍子抜けした」

いつもなら彼の口からこの世の全ての暴言を吐かれながら、俺が如何に自分の生に無頓着でお人好しなオカルト馬鹿だって言われるのだ。それが好きな訳ではないが、こうも素直になられると調子が狂ってしまう。

「今回ばかりは許します」
「……なんで?」
「僕のこと頼ってくれたから。『助けて』って」

彼はしたり顔で俺を見つめて、もう一度俺の頭を小突いた。

=====

……この文章は、一週間程の入院生活の中、楓くんに渡されたマックブックでぽちぽちと打ったものである。どうにも電子機器の扱いに疎く、スマホはLINEとカメラ、担当との電話くらいにしか使っていない。
いつもはアナログで書いた文章を編集やバイトを雇って打ってもらっているのだが、甘えてばかりにもいられないので、十分な程もらっている彼からの原稿料で高い買い物をしてしまったのだ。いまだに人差し指2本で一つ一つ打つことしかできないが、やっとここまで完成した。
ちなみに、パソコンは「保存」という行為をしなくてはデータが消えてしまうらしい。左上にある”ファイル”という文字をクリックして、”保存”を押す。楓くんに最初に教えてもらった操作。「柳さんの文章を一文字も電子の海に逃してたまるか」と言っていたのだが、実は何回か保存をし忘れて書いた文章が消え、頭と抱えていることは言わないでおこう。

「……あ、名前、決めるのか」

”保存”をクリックしたそこには「名称未設定」の文字が青く囲まれている。所謂、小説のタイトルを入力する部分、だろうか。今まで、ブログのタイトルはデフォルトで日付のみの更新だったし、コラムのタイトルは編集に任せていた。いざ、自分で名前をつけるとなると、少し悩んでしまう。数秒固まって、そしてそのまま保存を押す。

不思議な縁が続いて1年、彼は相変わらずの口の悪さだし、俺たちが一緒に行動することが増えたくらいで、関係性はあまり変わっていないように思える。ただ、初めての、楓くんが「カシラケ」を名付けた事件の時より、どうやら俺は楓くんに甘える機会が多くなっているように思える。今回助けを呼んだのだって、無意識だった。
それが、果たして良い傾向なのか……人に頼る、甘える、そんな行為が相手を危険に晒してしまう確率が高くなるものだという覚悟は、持っておかなければならないだろう。未来ある若者なら尚更だ。

……だが、一年前じゃ思いもしなかっただろうな。後輩で、大学院生で、怪異に詳しい漫画家。そして、どうしてか不可思議な現象や怪異に名前をつけることが出来る、東条楓。彼が自分の内側にいることが、そんな関係性が自分はどうやら心地がいいらしい。

「名前を決めるのは、君に任せようかな」

保存されたファイルを眺める。また彼に甘えてしまうが、まあいいかと一人で笑った。


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