まば星日記_2024/04/13 お約束文言には意味がある

海外の占星術家が書いた古典本の片隅に、モダンは性格判定で古典は現実的な予測だとよく書いてあります。

古典の本何冊かに目を通すまでは特定占師の思想か、特定界隈がそう言うからかな?と思っていて、あまりその発言根拠にはピンときていませんでした。でも流石に最近は飲み込めてきたのでアウトプット。

あれ、宗教弾圧の名残がまだ海外の占星術の世界にはあって、宗教上「キャラ話だよ✨ぼく未来なんか予測してないよ✨」って言わないと昔はNGだった名残なんですよ。昔といっても占星術が中世以後に復興してから。
当人が自国で生活できないし、なんなら今でもそうした暗黙の抑圧空気はゼロではないからそう言ってきたのが理由にあるのですね。過去ではあるけど社会配慮たる側面。

とはいえチャート見てれば占わなくても気づくとこあるし、性格判定しかできないわけではないのは占師も知るところですが、過去の占星術師の軌跡を辿ると軽視できないものであることはわかりますし、該当宗教の国で生活する占星術師ならやはりそれを重く感じるところだと思います。

古典占星術の本にモダンとの違いを「モダンは性格分析であるが古典は予測」と書いてあるのは、「現代だから再び古代の予測占星術が身近と言えるけど、当時は弾圧酷くそんなこと言えなかった。だから復興時にはみな性格判定の形になり(占星技術の劣化バージョンとして復興/モダンは性格判定でなくてはならない)それが中世の占星術復興と発達の背景にある。
万が一、予測パートを発見したとしても、後世の自分たちが過去の活動をわざわざ穏やかではなく語ることも憚られる。」ということであるように感じます。天文学と一体となって学問機関が存続しているのですから、その存在の公式性を問う話。

ただこれを相当昔の話だと思っていましたが…

手元の本に暦の海外著作がありました。
少し古くて英語圏のおじいちゃん世代の著作ですが、その本の中で明確に月を基準にした暦どり文化を批判する記述があり(つまりイスラムやアジアで使う太陰暦や太陽太陰暦を批判)随所にアンチめいた記載が。
その方の思想なのか時代や地域の思想なのかはよくわかりません。でも現代でもそうなの?と驚きました。

たまたま私が占星術を取り扱い、たまたま古典の海外著述本を日本人感覚にて眺める機会が何度もあったから気づいた話で、一般的な日本人は予備知識なく聞きます。だからなんでその書き方なのかな?とそこに違和感を感じます。
その違和感の理由は、宗教的安全配慮であったという話。

私たち、大体、ブディストです。
何知らないと、日本人同士のように気軽に同じ表現で発言しがち。その本では「弾圧」という表現も使っていませんでした。

なお、占星術が復興した段階で宗教上許容とされた範囲は、性格や人格についての個性への言及パートです。
だから上記のように古典の書では書いています。
ナンセンスとされたパートは、未来予測技術と占星魔術のパートです。(魔術の天体リンクパートだとは思いますが詳細不明)

これは海外の占星術家と交流するにあたって、公式な場で相手を困らせないために知っておいた方がよい気がしたので、気づいたから書いておきました。

単なるいち読み手の個人的なこだわりやスタンスみたいなものかと思っていたら、意外と歴史的な理由だったという話。

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