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お返し文化について

以前、「指輪のお返し」について自分の思う部分を述べさせてもらったが、再びお返しについて思ったことがある。

日本人の特性なのか、何かしてもらったときや感謝の気持ちを伝えたいときに「お返し」として物を送る文化が強いように思える-お歳暮やお中元もこの類であろう。

それは結婚の前の婚約の成立にあたり「結納」という、男側が女側に金品等を渡す文化が日本にはある。これに当たっても「結納返し」というお返し文化があるが、最近では結納は両家がこだわらなければ、やらないところも多いようだ。

わたしは婚約指輪を受け取ったあと、指輪においてもお返しをする文化があることを知り、当然のように相手もそれを期待していることに驚いたとともにがっかりしてしまった。なぜならば、お返しありきで渡すプレゼントは少なからず相手の負担になると思ってしまったからである。

では、「お返し」は必要なのか?


以前、友人の出産祝いに子ども服を買って渡したことがある。しばらく経ってから「お返しを渡したい」と連絡があり、なんのお返しだったかと思うぐらい不思議に思った。わたしの中ではお祝いのプレゼントであったから、もちろんお返しなど求めてないし、もらえるとは1ミリも思ってなかった。わたしの中では好意でプレゼントしたことに対してお返しはいらないのである。

ここで思うことがプレゼントに対して「お返しをする人」と「お返しをしない人」のどちらがよい人とされるか?

これは人それぞれだと思うが、もちろんする人のほうがマナーや礼儀を知っている人に認定されるであろう。わたしは前の事例でお返しをもらったことに驚いたものの、嫌な気持ちにはならないし相手に対しての好感度はあがったのだから。

結果、お返し文化からは抜け出せないのであると気づいた。よくよく考えれば、お返し文化はいろんなところにある。

男性が頭を抱えるのか、はたまた喜ぶのかの二択になるであろう「バレンタインデー」。

もちろんお返しは倍返し、もしくはそれ以上をを期待され、しょうもないものをもらったときには女性からの落胆は目に見えるであろう。

わたしが思うことは

「プレゼントはお返しを求めてはいけない」

ということ。

わたしが心掛けていることの一つに、お金を誰かに貸すときは返ってこないということを前提にしている。貸すから返ってくることを期待するのであって、もし返ってこなければその関係性は悪くなるから。

あくまで私はお返し文化を否定したいわけではなく、

お返しありきとするプレゼントが嫌

なのである。

無性の愛、と同じように無性のプレゼントでいいのではないだろうか。



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