今夜は薔薇を買って

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もう三日も経っているのに今さっき起こったような感覚で居る。瞳とのキス、自分の唇に付いた同じ色の口紅を瞳の親指で拭われた感触。整った爪、光沢のあるマニュキュア。雨音が二人だけの世界を密にしこのまま車を走らせてどこか遠くへ、そうなっても後悔しないと感じたあの時。無言のまま見詰め合い、先に瞳が視線を外し後部座席の紗江子に「野村さん、駅に着きましたよ。起きれますか?」と落ち着いた声で呼びかけた。「んんん・・・・。ああ寝てもうたわ・・。」ふいに起こされたので大阪弁で返答した事を紗江子は気づいていなかった。坂下は狼狽した。今のキスを見られたのだろうか?いや寝入って居たはずだから大丈夫だろう。坂下の視線が一瞬泳いだのを見透かすように瞳は「今、目が覚めたみたい。」とくすりと笑ってそう言った。

「よう坂下、日曜日はどうだった?」右肩をバンと片手で叩く挨拶は石上しか居ない。喫煙所でぼんやり車中の瞳を反芻していたので余計びっくりしてしまい椅子から転げ落ちそうになった。「おいおい大丈夫かよ?何をそんなに驚いてるんだ?さては彼女の事で頭が一杯なんだな?」石上特有の良く通る声がこの部屋に響き渡る。「ええ・・・一杯なんです。」とため息混じりに坂下は答えた。石上は不思議そうに「なんでそんなに暗いんだ?お前もうマリッジブルーなのかよ?」と言ってワハハと笑った。苦笑いした坂下は首を傾げ、質問された内容と答えが噛み合ってなかったなと自虐的な笑い方をした。「石上さんは今井先輩の奥さんとお知り合いなんですか?」何気なく聞いた。「瞳ちゃん?」「ええ、綺麗な奥さんでした。」「綺麗っていうか汚れてない感じなんだよなあ。ザ・箱入りって言えばいいのか。今井、プロポーズする時さ、なんて言って落とせばいいのか分からないからって俺にすがって来たんだよ。」「へえ。どんなアドヴァイスしたんですか?」「そら向こうはお嬢様短大生で勿論処女で、世の中の男がどんなものか知らない。だから花屋にあるだけの薔薇の花買って嘘泣きでいいから泣き落としてしまえって言ったんだよ。」ケラケラ笑って石上が煙草に火をつけた。「今井はなあ、結婚して向こうの財産が欲しかったんだよな。仕事が出来ても金と親戚に力があるやつが居なかったんだよ。」ひとくち吸ってふーっと煙を吐いた。「瞳ちゃん、気の毒に思ったんだろうね。今井の押しの強さに負けたんだよ。めでたく結婚できたのは俺のお陰なんだよね。なーんて。彼女もう二十七ぐらいだから色気も相当出てきたろうな」にやついた石上の横顔を見ず灰皿にぎゅっと煙草をもみ消して坂下は立ち上がった。「すみません仕事戻ります。お先です。」そっけなく立ち上がって出入り口へ向かった。「おい坂下」石上が呼び止めた。「紗江子ちゃんの話はどうなった?それ聞きたかったんだけど。」坂下はくるりと振り向き「万事順調です。」と軽く一礼をしドアを開けて出て行った。

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