知っていること

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面会時間は確か四時で終わりだったと思いますよ。いえいえ私もちょくちょく行ってるものでついでですから気になさらないでくださいね。ちょっと離れてますけどここから二、三十分車で飛ばせばすぐ着きます。あー今日帰らなければ行けないんですね?東京行きの最終は六時ちょっとのやつありますよ。ただね、あそこの施設からだと駅までバスで一時間半掛かると思いますよ。ちょっと早めに出たほうがいいのかも。なんせここは一時間に一本あるかないかの運行ですからね。

夫とはあそこの小学校の同級生で、生まれたときからの腐れ縁で今じゃ墓場まで一緒ですからねぇ。でもね一旦ここから出たことはあるんですよ。高校卒業して東京に就職して、三年勤めて辞めて帰ってきました。やっぱりこっちの水の方が合ってるんですよね。帰ってきてから二年経って今の夫と結婚しました。

夫はね、静の事が好きだったんですよ。ふふふ。もう昔話だからいいかなって思うんですけど流石に本人には初恋の人があんな形で亡くしてるんでからかう事も出来ませんからここだけの話で。静は本当にその名の通り静でいつもひっそりとして繊細でおとなしい子でした。私と正反対の性格で、だからウマが合ったのか仲が良かったんです。好きなアイドルの事や今流行ってるアクセサリーや洋服、漫画やアニメ、きりが無い程喋ってました。たいてい喋っているのは私のほうで静は小さな声で笑っているだけでした。誰に対しても優しい子で優し過ぎた所もありました。

刑事さん川村家と後藤家に起こった話は知ってるでしょ?当時村の一大センセーションでした。何年経っても何も起こらないこの村での不倫騒動でしたからね。そしてその後すぐ後藤の家の大火事。そらもう皆慌てましたよ。うちの両親も大変だ大変だ言ってて、でもどこか楽しそうでした。野次馬根性っていうんでしょうか。暇なんですよ実際。大人達がやんややっている時子供達のことなんて適当でしたから。「可哀想だから優しくしてやれ」とか「面倒みろ」とか。実際どれ程静が可哀想な目に遭っていたのか知りもしなかったくせに。

静は父親から暴力を受けてました。正確には母親の代わりに殴られたり蹴られたりしてました。近所の人や学校で気づかれないよう、顔以外の場所に青あざ作ってました。体育の授業前、着替えする時に私と真奈美は驚いて聞いたんです。体中に水玉模様があったんで「どうしたのよこれ」って。そしたら「芙美子ちゃん内緒にしてね。真琴は知らないの。お母さんと私だけやられちゃってるの」って口に人差し指置きながら「内緒ね、内緒ね」って何度も言うのです。今考えれば静の父親は涼子さんの事許せなかったんでしょうね。後藤先生の旦那さんと一緒に逃げようとして見つかって引き戻され、戻ったところでした事が許されることも無く毎日のように殴られ、蹴られ、そんな母親を傍で見ていられなくて「お母さんの代わりに私を殴っていいから」ってそう言って母親の代わりにやられてたみたいです。

優しいというか自己犠牲の塊りみたいな子でした。自分が罰を受ければ皆悪い方向にはならないから黙って受けてる、そんな感じを受けました。美子が入学してきてからそれが加速していく感じがあって、静が亡くなるまでのその間、見ててちょっと辛かったです。おとなしくて控えめで繊細な子が、こう、壊れて行くような印象に変わってね。

あ、もうそろそろ着きますよ。後藤先生、病気してからあまり昔の事は思い出せないと思いますけど、まあ捜査の役に立つような事聞けたら良いですね。うちのじいさまの隣の部屋なんですよ先生の部屋。私、旧姓田所芙美子で、隣の部屋に田所宗吉って書いてあるのがうちの祖父です。まー、寒がりでホッカロ持って来いってうるさくてとっくに九十過ぎても頭しっかりしてて、お迎えまだまだみたいです。

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