知っていること

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坂井真奈美です。先日父からも色々お聞きになってるかと思いますが全焼してしまった小学校の卒業生です。よろしくお願いします。佐藤忠明さんにも尋ねてますよね?電話が来ました。川村静さんが亡くなった当時の事を聞きたがっていると。今休憩中なので手短にして頂ければ助かります。あと三十分で仕事場にもどらなければいけないので。

当時小学校四年生でした。生徒数が少なかったのでほとんど合同授業でした。先生二人しかいませんでしたが、少人数だったので分かるところまで根気強く教えてくれました。松田先生には申し訳ないですけどそんなに自分の時間を割いてまで教えてくれるような先生では無かったです。黒板に自習と書いてはふらっと教室を出て三、四十分居なくなる事がしばしばありました。逆に後藤先生は一人一人よく見てくれました。「みんな私の生徒だから平等に教えます」と後藤先生は美子さんの入学式後のホームルームでそう言いました。川村家と後藤家に起こった事件はまだ子供だった私達にはよく分からない話で、周りの大人達も教えてくれませんでした。ただ「美子ちゃんはお父さんが居なくなって可哀想だから親切にするように」と言われました。中でも川村静さんは本当の妹のように面倒を見ていました。私は小学校三年の終わりまで川村兄妹といつも一緒に遊んでいました。でも静さんは美子さんが入学したのと同時に彼女の面倒を率先してやるようになったんです。「美子ちゃんはお人形さんみたいで可愛い」って休み時間髪の毛を櫛でとかしたり三つ編みにしたり、トイレにも一緒に付き添って行ったり本当に可愛がってました。皆、仲は良かったんですけどその頃から私と真琴さんと一緒に遊ばなくなって、まあ女子特有の男の子離れの時期だったのかもしれませんけど・・・・ちょっと不自然だったんですよね。可愛がり方が異常だったんです。恥ずかしい話静さんを取られた気がして私、櫛を折った事があるんです。でも静さんは腹を立てるどころかにこにこしながら「良いのよ大丈夫よ真奈美ちゃん。櫛はねいくらでもあるし、壊れた物は燃やせばいいのよ」って言ったんです。うちの父に壊れた物や破れたノートを焼却炉で燃やしてくれるよう頼んでいたそうです。静さんと美子さん三人で焼却炉の前で燃やして灰になるまで眺めて居た事が何回かあったと後から父に聞きました。父から聞いてませんでしたか?そうでしたか。自分にも責任があると父は嘆いてましたから・・・・。

川村静さんが焼却炉の事故で亡くなられた時、私は理科室で真琴さんと一緒に居残り勉強をしていました。理科の研究実験がどうしてもうまくできず、その日はアルコールランプを使う実験だったので先生が付き添わなければ実験はやってはいけなかったんです。松田先生が教えてくれるはずだったんですけどふらっといつもの調子で居なくなってしまって、しょうがないから後藤先生を探しに他の教室に行こうと真琴さんが席を立った瞬間「あああああああああ」と突然白目を剥いて叫び始めたんです。私はびっくりして彼の身体を揺さぶって「どうしたのどうしたの」って何度も聞いたんですけどそのまま失神して床に倒れこみました。そうです、静さんが下の焼却炉で焼かれている現場が見えていたんです。のちに病院にお見舞いに行った時私に言ったんです。「静は焼き殺された」と。警察の人に自分が感じた事・見えた事を言ったのですが妹さんが亡くなったショックで精神状態が不安定になったせいでそう見えた、そう思ってしまったで片付けられてしまいました。おかしいですよね?真琴さんが倒れた時、静さんが焼却炉で焼かれている事なんか知らなかったのに。その後、真琴さんは隣町の病院を退院して他校に転校してしまいました。それ以来どこでどうしているのか分かりません。

私が知っているのは以上です。すみません、あまりお役に立てないお話だったかもしれませんが・・・これ以上話すことはもうありません。申し訳ないのですがもう・・・。仕事に戻りますので失礼します。

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