ペダルを漕いで

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学校の体操着は緑色の上下で肩から足元に掛けて白い線が二本入っていた。たまにその体操着を着てるおじさんやおばさんが居て明らかにそこんちの娘や息子のお古そのまま着てますな大人を何度か見かけた。物を大事にするのは良い事だとは思うけれどなんか微妙な恥ずかしさと何故娘や息子達は着用するのを止めないのかとまで思ってしまう。帰り道に田んぼや畑で見かける大きなバッタ、それは緑の体操着を着たおじさんおばさん。横断歩道を自転車を押して渡る時、車の運転席から優しく頷きどうぞと合図する緑のおじさんおばさん。隣のクラスの男の子はその緑の体操着の膝の部分真横に鋏入れて切り離して何本も安全ピン指して止めていた。都会から来た子でセックスピストルズが好きで放課後掃除用具を片手にアナーキインザUK歌う子だった。正直浮いていた。一時間に一本バスがやっと走るような、汽車の最終が九時前で終わるようなそんな田舎でエゲレスに反抗してもなあって思った。でもなんだかかっこ良かった。これが初めて身近に実在するパンクスだった。帰り道「ノーフューチャー!ノーフューチャー!ノーフューチャー!フォアユー!」と歌いながら自転車ぶっ飛ばしいつかラフィンノーズのライブ行くんだと心に誓った。ラフィンノーズはピストルズよりカッコイイと思うってあの子に言いたい。なんて答えを返すだろう?息を切らし家の玄関を開けるとそこには例の体操着を着た親父が立っており「お帰り」と私に声を掛けた。ああ、どこの家の卒業生もきっと止めたに違い無い。それだけは着てくれるなと。だがどこの家の親父と母ちゃんは聞いてない。ある意味この人達もパンクスなのだ。


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