今夜は薔薇を買って

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駅までの帰り道、紗江子のヒールの高さを気の毒がって「車でお送りします」と瞳が申し出た。お式の日取りを決める前にまずは親御さんに御報告したほうが良いだの会社を続けるのかだのそういった「普通ならそれが先」を紗江子は全く考えていなかった点を瞳に整理して段取りを組んで貰えた事に非常に気を良くしてワインを呑み過ぎふらふらになった。「タクシー呼びますから」と坂下が遠慮するも「良いから瞳に送ってもらえ。瞳ぃ、早く送って来いよ」とこちらもふらふらと足取りがおぼつかない直樹がソファーに倒れながら大きな声で命令した。

助手席に坂下が乗り後ろの席にだらしなく座った紗江子。瞳は「ごめんなさいね。呑ませ過ぎちゃったみたいで。紗江子さん大丈夫かしら?」とバックミラーを覗き込みながら申し訳なさそうに言う。「いいえこちらこそどうもすみませんでした。順序が出鱈目なのに色々お世話掛けました。御迷惑だったかと思います。」坂下は瞳の小さな横顔を見ながらそう答えた。「ふふふ。御迷惑だなんて。私こそ夫に言ってくださったあの一言、胸がすっとしましたわ。結婚する前まではあんな横柄な人だと思ってもみなかったんですけど、何年も一緒に居ると地が出るんでしょう。まあお互い様なんでしょうけどね。」可笑しそうに笑う瞳は赤信号の交差点でゆっくりブレーキを踏んだ。「いつも・・・あんな感じなんですか?」「いつもって?」「今井先輩の態度ですよ。瞳さんは怒ったりしないんですか?」駅までの数分、瞳との会話をとぎらせたくない思いと、もっと瞳の事が知りたいという思いで坂下は踏み込んだ質問をした。「怒らないわ」信号が青になった。「怒りとか悲しいとかそういう感情、夫に対してもう無いの。今は残骸を綺麗に埋めているところなの。」静かにアクセルを踏み住宅街をゆっくりと進む。「どういう意味ですか?」フロントガラスにトンと一滴の雨粒が落ちた。「そのままよ。夫とはこれから一緒に何かを成し得るとか残すとか過ごすとか、考えてないのよ。だから怒りも沸いてこないの。無駄だから。」車の速度があがり雨粒が無数に叩きつけられワイパー無しでは前が見えなくなってきた。「そういうことだから坂下さんと野村さんは別の媒酌人探したほうが良いと思いますよ。今からだって十分間に合いますもの。」「じゃあ何故」坂下は後ろで寝入っている紗江子に聞かれまいと声を押し殺して「じゃあ何故あんなにも尽くすのですか?」と言った。瞳は答えなかった。住宅街を抜け駅前ロータリーに入り「この辺で降りれば雨に濡れずに済みますわ」と、車を止めて坂下の方を向いた。その瞬間、坂下は待ち構えたように瞳にキスをした。

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