今夜は薔薇を買って

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食事の後を期待して頼んだ高いシャンパンがテーブルに運ばれてきたが今すぐキャンセルしたくなった。直樹は紗江子の相談を聞きながらそう思った。フランス料理のフルコース、紗江子の為に買ったネックレス(会議終了後会社を抜け出して買いに行った)、そう遠くない場所にあるシティホテルの予約、これらを全て今すぐキャンセルしたいのだ。何故なら紗江子の相談とは坂下との四年越しのお付き合いからの結婚に向けての媒酌人を直樹に頼みたいという相談であったからなのだ。坂下と付き合ってたのを全く知らなかった直樹は唖然とし、「おめでとう」の言葉が「嘘でしょ?」に変わってしまった。紗江子は怪訝そうな顔をして「嘘じゃないですよ。彼ともう四年も付き合って私もそろそろ結婚したい年なんで真剣なんです。」紗江子は上唇を上につんと向けて直樹を睨みながらシャンパンを呑んだ。「もうちょっとしたら彼も仕事終わってここに来ると思うんで」と言いかけた紗江子の言葉を遮る様に「すまんが今日は家族の食事会がこれからあるんでね。事情は分かった。なんだ知らなかったよ。坂下のやつ教えてくれなかったしな。まあおめでとう。式の事は彼も交えてまたおいおい話そうよ。」これだけ言うのがやっとだった。一気に言い終え「ちょっと失礼」と席を立ち、ぽかんとした顔の紗江子をテーブルに残し、ふらふらトイレへ向かい予約しておいたホテルの電話番号の履歴を素早く探した。

結婚の話を上の空で聞き流し適当に「おめでとう」「幸せになれよ」と相槌を入れ、デザートのケーキと珈琲は丸ごと残し、もたもた食べてる紗江子にイライラし、会計の代金をカードで払い目の前の信号で止まっていたタクシーに直樹は乗り込んだ。「ああやっと終わった」と大きなため息をつき今日の日記には愛人のひとりに別れを告げた内容にしようと自分を慰めた。四年前から坂下と紗江子は社内の誰にも知られずそんな仲になっていたなんてなあ、お前ら結婚なんてそんな良いもんじゃねえよ、甘いのは今だけなんだよ浮気されないようにお互い頑張れよと色々心の中で毒気付きながら窓から変わる夜の景色を眺め、今日紗江子の為に買ったネックレスは瞳にあげよう、そう思った。石上にご機嫌取りに薔薇でも買って帰れと言われたがネックレスの方が良いだろう。薔薇はここのところずっと家に飾られてある。薔薇ばかりじゃ飽きるだろう。だが直樹はその薔薇が誰が持ち込んで瞳に飾らせているのか知りもせず、そんなことよりも自分に持っていないもの全て持っているように見える坂下の事が妬ましかった。あとキャンセルしたシティホテルに実名で予約してしまった事を悔やみ今度から坂下の名前を使ってやれとセコイ仕返し根性で頭が一杯であった。

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