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自分が変わると世界が変わる、は本当だった。

最近他人におびやかされるということがなくなった。
おびやかされる、というのは、何かいじめられるとか脅されるとかそういう物騒な話ではなくて(笑)相手に対して引け目を感じるとか、なんか侵食される感じがするとか、馬鹿にされてる感じがするとか、そういう意味で。

この状態に至るまでに様々なアプローチをしたけど、一言に集約するなら、結局のところ、自分の感情自分がどうしたいのか、を把握することに都度都度集中する、という癖をつけたことかなと思っている。

生まれ持った資質とか生育環境において、その癖が自然についている人からしてみたら多分意味が分からないんだろうけれども、これができない、そもそも知らないという人間は実に実に多いのですよね。

あ!そういえば、10月からの朝ドラ「舞い上がれ!」の幼少期の舞ちゃんの変化が多分一番今タイムリーで適切な例だと思われ。

幼少期の舞ちゃん、お母さんからもお父さんからもかわいがられて、お兄ちゃんも病弱な舞ちゃんに両親がかかりっきりになることに複雑な思いを持ちながらも、やっぱりすごくかわいがってて、一見すごく健全なんだけど、病弱なあまりお母さんが過保護になっちゃって(それはそれで悪じゃなくて愛として描かれているのがまた良いのですけど)舞ちゃん本人も自覚しないままにいつもお母さんや周りの顔色をうかがうのがデフォルトになっちゃってて。これ、モデル、私かと思いましたね。笑笑笑
切ないんだけどもお母さんも煮詰まって、舞ちゃんの体調も悪いしと、おばあちゃんのところにしばらく預けられてですね。でも親元を離れてる間におばあちゃんが舞ちゃんに教えたことが「自分の感情自分がどうしたいのか、を把握すること」だったのね。
おばあちゃんはいつも「舞はどうしたい?」と聞いて、それに舞ちゃんが答えられたら、内容よりも答えられたそのこと自体をすっごく褒める。その繰り返し。それだよな~、そうなんだよな~~、と、ムチウチになりそうなくらい、ヘドバンしながら観てました。
そうこうするうち舞ちゃんの体調もすっかり良くなって、元の学校に戻って優しさを周りの子にあげられる子になってねえ。
もうおばあちゃん目線で見ちゃうね、あれは。

やや、朝ドラについてすっかり熱く語ってしまったけれども。
んでもすごくあるあるで本当のこと描いてるよな、と思った次第で、つい。

わが身を顧みて再び考えると、自分の気持ちや自分の希望を把握できたところで、もちろん叶わないことのほうが多い。けど、把握していることがこんなにも助けになるとは。
とにかく主体性ということなんでしょうね。自分がやりたい、もしくは、やったほうがいいと判断してるからやるんだ。そう思えないことについては、極力やらない。どうしてもやらなきゃいけない場合は、やりたくないけどやってるっていうことをちゃんと自分が分かっててあげる、そういう感じ。そうすると、忙しかったり余裕なくても日常で「キーっ」とかなることは、見事になくなりました。すごい楽。楽だし気持ちが豊か。

だからこそ、自分がどうしたいかがわからない、という問題に出会うと、それがいちばん、悩みます。数は少ないけど、たまにあるし、そう言う悩みこそ深い。でも、悩み事の数は少ない方がいいでしょう。だし、ここまできてもなお自分がどうしたいかすぐに答えが出ないような問題って、それこそ時間をかけて向き合うべき、得るものがその先にあるはずの大事な問題なはずなのだ。悩み事ゼロなんてどだい無理な話なんだから、せめて大切なことに絞ってしっかり悩みたい。

こうやって文章を書くのも表現でしょう。表現って、しなくても生きていける人たちっているのよね。私はそういう人のほうが強いとずっと思ってて、強い人たち基準でいつも書いたものに「すごいね(失笑)」といわれるのを恐れていたんだな。自分語りがイタいのは否定しきれないけれども笑、今は優劣ではなくて表現が必要な人とそれがなくても生きていける人とがいるってことだと思えて、そうすると自然と「すごいね(失笑)」という言葉は耳にしなくなってくる。失笑だと思っていたのは私の側だったのかも、とかね。そして、思わぬところで読んでくれてる人に出会ったりして、恥ずかしいけどうれしいなってなったりして。

今でももちろん日常生活で「そんな言い方しなくても~」とか、まったく思わないわけではないけど。あとはもうなんか悪者不在のどうしようもない悩み事とか?そんなのはもういつまでもある。でもなんか、ものの言い方ひとつとっても、それは相手の問題であって別に私の人格が否定されているわけではないから、っていう当たり前のことを「わ、ムカつくわ」とちゃんと自分の心の動きを把握してあげてれば、自分と相手の間に境界線ができるから、それ以上自分の中にその問題を取り込まずに済むのですね。あんまりだと思ったときには、意思表示をするかどうかの選択もできる。まあ、意思表示についてはまだへたくそなところがあるので練習中だけれども。

散文雑文ですけども、今日はこのことを話したかったのだ、よ。

※トップ画に深い意味はございません、たまたま、昨夜買ったお花でございます。ダイヤモンドリリーって言うんだって!肉眼で見ると、キラキラしててすごく綺麗よ。ヒガンバナの仲間だそうだ。

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