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卵子凍結体験記(6/6)採卵後の身体の回復、今思うこと

4月14日が2回目の採卵日だった。採卵後の経過について、2回目のほうで記録を顧みる。

それと、一応当初予定していたすべてのプロセスを終えた今、感じていることについて。



【私の場合は全快までおよそ1週間】

どうやら採卵翌日、ちょうど台風の影響で天気が荒れていたようで、気象病と身体の負担とがあいまってやたら眠かった。我慢できず日中結構な時間昼寝をしてしまった。

話は逸れるけれど今住まわせてもらっている生前の父の家はマンションの高層階なんだけど、なんとなくここに来てから気象病に関しては悪化しているような気がする。これはタワマン川柳のネタにできるのではないか。高層階、気象病悪化する説。


話を戻して採卵後の体調のこと。翌々日以降は普通の生活はすべてできた。でも、なんとなーく卵巣のあるあたりの周辺が重だるい感じはあった。3日位は重だるさが続いたかな。1回目の時から医師に言われていたけど、卵巣に針を刺すので術後は卵巣が腫れるらしい。なので、多分そのだるさなのだろう。


これも採卵と直接関係なさそうだけど、私は身体にストレス性の疲労(例えば海外に長期滞在して生活環境が変わるとか。)がたまるとどうも胃と腸とが両方ストライキを起こすらしく、久々にそういうのに見舞われて、それが結構長引いた。


そんな感じでなんとなーくの不調を経て徐々に快復し、術後1週間くらいで全快という感じ。


【経過観察と結果のフィードバック】

時系列は前後するが、術後4日程度で(確か次の生理が来たら受診してねと言われていたんだっけな)卵巣の腫れ具合の確認と、凍結結果のフィードバックのために受診をする。


2回目なのでなんとなく自分の体調の経過について既に心得ていて、問診で「まあちょっと卵巣痛いですけど、大丈夫です~」と言うと、医師も「皆さん2回目以降になると勝手が分かるのでそう仰るんですよね、頼もしいです」とのコメント。なんかちょっと褒められた気がして嬉しい。


で、書面でのレポートと凍結した卵子の一覧表をいただく。


1回目は9個、2回目は18個の凍結に成功。合計27個。

初回受診時に20~30個くらいの卵子が保存できるといいよねという話を医師としてスタートしているので、お財布とも相談してまあこれくらいかなという感じで、これにて一旦打ち止め。

ちなみに採卵数は1回目13個、2回目24個。採卵はできたけど培養がうまくいかなかった卵胞がここで淘汰される。2回平均すると、私の場合は凍結成功が70%台ってことか。


前回の記事の通り、この後解凍、受精、受精後の培養・・・と各プロセスを経るごとに少しずつ淘汰されていき、一応不妊治療としての妊娠成立が40%位の確率で可能であろうということ。ね。ここまでして40%ですよ。授かり物だと思えないとしんどい数字。



【将来人間になるかもしれない丸いやつら!!】

ウェブで色々調べてたときに、レポートには凍結した卵子の写真がついてくる、という話を見た。果たして私のかかったクリニックも、そうだった。

こんな感じでレポートの端の方に写真が載っている。


この中のどれかが、もしかしたら将来人間になるかもしれない・・・科学の力!と感激する。



【凍結した卵子、どうやって使うの?】

凍結してある卵子を解凍した後は(解凍の時点でまた一定割合の卵が淘汰される)通常の体外受精と同じプロセスを経るとのこと。


なお、27個保存してあるのをどんなペースで使うのか?と医師に問うたところ、基本的には1発勝負なんだそうだ。え、マジ?!可能性低いとはいえ、万が一2個も3個も受精に成功しちゃったらどうなるんだ。って、さらっとだけ調べたところによると、私の場合はもうとっくに高齢妊娠の部類に入っているので、2つの移植は認められているようだ。うーんとこの辺は・・・専門でないし、にわかググり知識なのでちゃんと知っておかねば。大事なことだ。



【一連のプロセスを経て今思うこと】

思えば1度目の結婚をしたばかりの頃、元夫に「次は子供だねっ!」とキラッキラした目で言われて、本当はあの時私、心の中で凍り付いてたよな・・・と今となっては思う。もう新婚の段階から詰んでますやん。そりゃ離婚してって言われてやだと言っても説得力がないよね~。


と、そんな20代を経て訳が分からなくなっているうちにあっという間に自然妊娠が難しい年代に突入してしまって、順当にライフイベントをこなしていく人たちが異国の人のように思われてならない私。(順当に見えてもみんなそれぞれに悩みがあって正解もないって事は想像してるよ!)でもやっぱり結局は、その気になったときが産みどきで、そのとき授かるかどうかっていうのはもう個人単位で見たら年齢はあまり関係なくて。仮にだけど子が欲しいと心の底から思ったときが閉経後だったとしても、子を幸せにできるのであれば養子をとることだってまあできなくはないわけで。


と、いうくらいの冷静さを、一応なんとか36歳時点の卵子を凍結保存したことでいまんとこ確保できている。でもこの冷静になれるっていうことだけでも、大枚はたいた甲斐があったと思う。結局授かり物なので最後まで運任せだし、フィードバック時に改めて医師と話してまあ子供欲しいんだったら凍結卵子の有無に関係なく早いほうがいいですよ、という(当たり前すぎるけど)結論に落ち着いたわけだけど、それでも確実に私がこの先どう生きていきたいかの主体的な選択肢を増やしたことになる。


余談だけど、この一連の一切保険のきかない医療行為に要したコストは、これまた父が遺してくれたものがあったからできたことなのだ。本当にありがたい。父偉大。こういう遺産の使い方なら、多分父も喜んでくれると思うんだよね。けれどそういう恵まれた境遇にない限り、私くらいの年頃の独身女がこんな高額な費用出せるとも思えず。なんだかな、色々歪みを感じてしまうなって言うのは、当初感じたとおり、やっぱり所感としては変わらない。



【まだ見ぬ、見るかも分からん我が子に・・・?】

私の知人友人のうちに「こんな自分の遺伝子を引き継がせたところで苦労が多そうだから子供は欲しくない」という人が複数いる。もちろん本音と建前とがあるだろうから、全部を字面通り受け取っているわけではないし、その背景に色々な意味の繊細な問題をそれぞれが抱えていることも、そのくらいの突っ込んだ話をする仲の相手であればうすら察しはつく。かくいう私も、ずっとそう思ってきた。


結局のところあたしの子が欲しいかもムーヴメントも多分加齢によるホルモンバランスの変化がその動機の大半を占めているらしく、これと言って決定的な出来事があって考え方が変わったということではない。


だけどね。一人に戻って5年の間で、いかに頭でっかちに生きてきたかを痛感して、感覚とか感情を無視してきたが故に色々詰んだってことが分かってから、今自分が何を感じているのかにちゃんとフォーカスするっていうのを実践し続けてきたら、「あ、こんな私も、悪くないじゃん」って思えるようになってきた。調子がいいときなんかは「こんだけの感性フィルターだったら、我が子に遺したとしてもギフトになるかも」と思うことすら、なくはない。

逆にこの扱いにくい厄介なフィルターも親から引き継いだものだと思うと、ほんのすこうし、親のことも理解したり許せたりするような気もして。

そんなことを思えるなら、自分自身が以前より生きやすくなっているのも、その結果として周りの人に与えられるものが増えているのも必然で、やっとこさ、自分が自分で居ることに満足し始めたところなのだね。


授かり物の話がどう転ぶかは、やってみてのお楽しみだね~。


これにて、卵子凍結の話は、完!

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