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アルトデウスBCのジュリィに思う事

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 アルトデウスBCのキャラクター、ジュリィについて感じた事の備忘録。


(トゥルーエンドを含む物語の核心に関わるネタバレが含まれますので、未プレイ又はアチーブメント100%でない方はご注意下さい)


 この作品には本当に多くの魅力的なキャラターが出てくる。主人公クロエの葛藤、コーコの美しい歌声、ノアの愛らしさ、アオバの優しさ、ヤマトの情熱、皆それぞれがプレイした人に強い印象を残す。そのような多くの魅力的なキャラクターがいる中で、何故ジュリィがこれ程私たちに強い印象を抱かせるのかと言えば、それは彼女がこの作品の中で最も人間臭さを感じさせるキャラクターだからであろう。

 ジュリィの正体に関しては今のところはっきりと確信を持つことは出来ないが(今後発売予定の公式ノベライズで明かされるようだ)、恐らくユリア自身かその妹ジュリだと思われる。身体をサイボーグ化し、幾度の意識の転写を繰り返してまで彼女が求めていたものがコーコの言う手の温もり(リアルの価値)であることが、彼女の存在を強烈に印象付ける。あの日を境に消えてしまった姉に(もしくはかつての自分に)会いたい一心でメテオラに飛び込んでいった彼女の背中は、狂気の中にありながらもどこか物悲しく、トゥルーエンドのクレジットでクロエとコーコが手を繋いで飛んでいく姿とも重なる。結局ジュリィも求めていたものは彼女たちと同じものだったのではないだろうか。ジュリィがその手に携えたかったはユリアの手だった。

  思えばここに出てくるキャラクターは皆大切な人の影を追っている。アオバはデイターを、ヤマトは亡くなった父を、ジュリィは消えたユリアを、クロエはコーコを、ノアはクロエを。きっとロストチャイルドであったデイターも得られなかった究極の愛をメテオラの中に見出していたのかもしれない。クロエのDESIRE、ジュリーのDESIRE、それぞれのDESIREがこの物語を形作っている。その意味で世界を放棄しコーコと共に歩むことを決めたクロエは、ユリアに会いたい一心で怪物になったジュリィと何も変わらない。この真実ではクロエと本当の意味で生き写しなのはコーコではなく寧ろジュリィの方だろう。そしてもう一つの真実では彼女はコーコとの過去を手放し皆と共に生きる事を決める。それは決して消える事の無い深い悲しみを抱えながらもジュリィとは違う道を選ぶことであった。

  ジュリィが自身で省みていたように、気の遠くなるような月日を費やした論理思考の果てに求めたものが、あの日のユリアに会いたいという情緒的なものであるという皮肉は、彼女のその異様な姿とは反対に誰よりも人間らしさに溢れたキャラクターとして私たちの目に映る。200年も長きに渡って生きた彼女が只一つ求めたもの。サイボーグと化した両の手でパティを抱える彼女の姿は、今あるものを忘れ失ったものや得られない物を求めて生きてしまう人の悲しい性を思い出させると同時に、その人間らしさに愛おしさすら感じさせる。

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