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信頼の法則


2021年12月17日
約束されたメッセージを
Qのメンバーの方々及び全世界のパトリオットとAnonに贈ります。
皆様いつもありがとうございます。


信頼の法則

「信頼の法則」は、
知識として読んだり聞いたり
経験した以上のことを、
私達が生まれながらに
知っていることを示唆しています。
私達は人知を超越した、
普遍的な智慧をもっています。
その智慧は、見、聴き、信頼するだけで、
無限にくみ出すことができます。
私達の中には、
自分で思うより
ずっと崇高な存在がいるのだから。

自らを信じることによってのみ、
他者に忠実であることができる。
エーリッヒ・フロム

私達の中には、「自分を信じている!」と
自信たっぷりの人もいるでしょう。
けれどもよく考えてみると、
自分という人間ではなく、
頭に蓄えた、他の人の意見や、
本や指導者から教えられた知識や理論、
信条を信じているだけなのではないですか?
自分を信頼出来ない人は、
科学者や専門家、巫女、予言者、導師などに助言を求め、
自分の考えや行動を検証してもらいたがります。
自分自身を知るために、
生まれながらにもっている内なる智慧に氣づかずに、
いつまでも他の場所を探し求めるのです。
彼等は、永遠の「真理の探究者」、精神的放浪者、
あるいはセミナー中毒者となって、
教師から教師、集会から集会へと渡り歩き、
満足のいく「真理」を求めてさまよい歩きます。
しかし、自分のうちに無限の智慧をくみ出す方法を見つけない限り、
心から満たされることはないでしょう。
真理を得ることは、
膨大な情報を収めたデータベースを手に入れることではなく、
私達一人ひとりに直接つながる智慧の水路を見つけるようなものです。

ある道を究めた専門家の指導は、確かにそれなりの価値があります。
たとえばよいコーチにつけば、独力でテニスを覚えるよりも、
ずっと短時間で上達できるでしょう。
けれども、最終的な判定や決定は、
自身の最も深いところにある直感や智慧を信頼して行なわなくてはなりません。
私達はもっと自分に備わった奥深い智慧を信頼するべきなのです。

信頼の法則は、
自分の内面に存在する大いなる魂と、
そこから生まれる崇高な智慧を信頼することを教えます。
この法則は、私達の自我意識を高めるだけではありません。
大いなる魂は自分自身の内だけでなく、
どんな人にも、
そして世界のあらゆるレベルに機能していることを教え、
私達を取り巻く世界に対するより深い信頼を促します。


大いなる魂への信頼は、
既存の宗教にあるような外面的な神を信仰する事とは全く異なります。
生まれながら自分に備わった智慧や宇宙の法則を信じ、
幸せも不幸も含む人生のすべての過程の存在理由を信頼し、
どこに足を踏み入れようと、
その下には必ず道が現れると信じることです。

信頼の法則は、
私達は皆、人が「神」と呼ぶ偉大な神秘の一部であり、
一人ひとりのうちに、
畏怖すべき力強く賢い不死の「魂」が脈々と息づいている事を教えます。
この法則は、柔軟性の法則や、
大いなる意志の法則と深く関っています。

私達が「自分を完全に信頼している」と言う時、
大抵は意識的な自己、理性や自我を信じているに過ぎません。
しかし、このような自信では、
人生の荒波を乗り越えることはできません。
意識が利用できるのは、
ほんの限られた知識領域に限られているからです。
しかし、真の自己信頼、つまり無限の智慧と忍耐と、
共感という神秘的なエネルギーが私達の内にあり、
私達を形作り、
私達を通して現れると信じることができた時、
人生の新たな扉を開けることができます。
この深遠なレベルの信頼を手に入れた時、
「自分」や「他人」と呼んでいる存在はすべて、
この崇高なエネルギーの一部であると信じることができるでしょう。

宇宙の原理ともいえる、崇高なエネルギー
(私は「大いなる魂」と呼んでいますが、
どういう名前で呼ぼうと自由です)が、
独自の摂理、法則に従って、
世界のあらゆる出来事の底流として機能している事が
心から信頼できるようになれば、
あなたを取り巻く世界とあなたの人生のあらゆる局面を
信頼して生きられるようになります。


私達は、大いなる魂との結びつきをいつも心の奥底で感じることができます。
しかし、それを実感するには、
まず頭(知識や理性)の活動から抜け出し、
すべての決定を、心(感情や身体の反応に近い、
直感や本能の智慧)にゆだねなければなりません。
たとえば、どのように行動するか、
何を食べるか、いつセックスをするか、
自分をどのように癒すかなどについて決める時、
頭の知識をもとに分析するのではなく、
身体の声に耳を傾けるのです。
真の自己信頼は、まず自分という存在のすべて、
身体、心、感情、精神を絶対的に信じることから始まります。

「信頼の法則」を学べば、
自己信頼は、
直接の経験を通してのみ得られるということが分ります。
私達は、本から得た知識や、教師からの助言ではなく、
身体の経験を通して自己信頼を学んでいきます。
即興的なダンス、武道やその他のスポーツ、楽器演奏などは、
身体にそなわる直感的な智慧を体験でき、
思考経路を通らずに本能的な智慧に従って体を動かす能力を開発させてくれます。
私達は、健康管理の仕方や高度な医療知識など全くなくても
自分の体を健康に保つ智慧をもっていることに氣づくでしょう。
身体の声に耳を傾けさえすれば、
その答えはすぐにやってくるのです。
「安らぎの戦士の強化訓練」や「ロッククライミング・コース」のような
サバイバル訓練は、
肉体を信頼するだけで、理性が認めた限界を大きく超える、
素晴らしい潜在能力を発揮できることをドラマチックに教えてくれます。
もっとも、
私達が毎日の生活の中で出合う日常的な試練の中でも、
自分の信頼の程度を試し、
深い結びつきをはぐくむことは可能です。

信頼の法則は、
理性を信頼することも教えます。
しかしここで信頼しなくてはいけないのは、
理性の情報を蓄える能力ではなく、
崇高な智慧を利用する能力です。
私達の脳は、
書類の整理棚やコンピュータとしてだけでなく、
どの局の周波数にも合わせられるラジオとして機能します。
言い換えれば、
情報は脳「から」来るのではなく、
脳を「通って」来るのです。

自分自身を信頼するというのは、
余分な知識を払いのけ、
最も深いところにある直感を信頼することです。
その時、私達の感性は、
潜在意識のメッセージを伝え、
不十分な知識しかない理性よりも素早く、
より包括的な判断を下し、
精神法則として現れる普遍的な叡智を取り出します。


大いなる魂を信頼する者は、
大いなる魂と共に生きることができます。
自分への信頼が深まれば深まるほど、
崇高な智慧や愛が、
人生のあらゆる局面で作用していることを実感できるようになります。
本当の自己信頼を手に入れた時、
私達は、
私達が生まれてきた目的を達成するという究極の使命を果たすために、
勇気をもって「失敗」を経験し、
そこから学習できるようになります。

私達の直面する試練は皆、
大いなる魂から与えられた学習の機会です。
この普遍的な教師は、
私達をさまざまな状況や試練、困難に向かわせ、
そのたびに私達はどの程度、自分を信頼しているか、
そして精神法則をそれらの経験から学び取っているかを悟らされます。

アラン・ワッツがかつてこう言いました。
「あなたのポケットからすり取った札入れを、
あなたに売りつける”教師”に用心しなさい」と。
しかし皮肉なことに、
人生のあらゆる教師(たとえば善意のかたまりのような人でも)
にできることは、まさにこれだけです。
なぜなら学ぶべき宝ものはすでに私達のうちにあり、
誰もそれ以上は与えられないからです。
教師にできるのは、
私達自身の心の部屋の扉を開ける鍵をいくつか提供し、
時間を節約し、進むべき道を示すことだけ。
自己覚醒の旅の始まりも終わりも、
私達の心の中にあるのです。

あなたの人生の専門家は、
他の誰でもない、あなた自身です。
他人や先人の意見ではなく、
自分のうちにある高次の自我、
つまり大いなる魂の語りかける声を信じることが
究極的に一番あなたのためになるのです。
そして、自分と同じように、
大いなる魂が他人の心の中にも作用していることを知った時、
世の中や他者に対する恐怖感はなくなり、
大きな地球家族としての愛情が生まれます。

信頼の法則を究めることは、
宇宙全体を統べる叡智の存在に氣づくことにつながります。
昔から「神は神秘的に働く」ということわざがありますが、
これは単なる希望的観測ではありません。
自分と宇宙全体への信頼を学ぶにつれ、
私達は、あらゆる苦難の中に神の正義を感じ、
人生のどんな状況も喜びをもって受け入れられるようになります。
私達が人生で出合う出来事はすべて、
私達が究極的な目的を達成するために、
人生が絶妙なタイミングで私達に贈った経験だからです。


ひとことで言えば、
自分が何処に重点を置いているかです。
個人としての身体に置く事もできれば、
大いなる魂に置く事もできます。




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