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【stand.fm】3か月半の振り返りとコミュニティ形成

こんばんは、まーです。

 この頃は、コミュニティの形成と参画の仕方について考える日々です。尾原和啓さんの『あえて数字からおりる働き方』を拝読して、「インターネットの価値は遠くの人と繋がることができること」ということを考えています。

 今年の3月末より始めたstand.fmの「毎日収録投稿」も、もうすぐ4か月が見えてきました。当初は「ブログを書きたいけれど書くネタが全然わからない。とにかく毎日喋り続けているうちに、自分のコンテンツが見つかるだろう」という気持で始めたものでした。きっかけが、「妻との夫婦喧嘩の増加とそれに向き合う家族会議」だったので、これに関して日々考えたこと実践したことを喋り始めましたが、本日7/17時点で145投稿になりました(LIVEアーカイブを除く)。話しているうちに、話したい事が見つかってくるものだな、とちょっと感慨深いです。


1.収録オンリー

 当初は「妻との夫婦喧嘩の構造化」みたいな話が中心でしたが、「これって人間関係全般にも当てはまるかもな」とか「ビジネスシーンでも使える話だよな」とか、そんなことに気付いてからは「人との関わり方の実践放送」というテーマ付けをしてみました。そう括ってみると、コミュ障陰キャの僕が体当たりで人とのコミュニケーションを図ってきたエピソードが色々と思い出されて、また話したいテーマが増えました。

 初期は「数字が友達」(アナリティクスの再生数ばかりみる日々)でしたが、ぽつぽつと「いいね」をもらえたり、ごくたまにコメントを頂けたりすることがあって、嬉しい気持ちになっておりました。レターが届くと飛んで喜ぶような始末です。「テーマをもらえた!嬉しい!」。

 そうして一か月が経過する頃には、地道な認知獲得活動をしていたこともあって(※ フォロワー100名をこえたあたりから、プロフに〇〇人の方にフォロー頂きました!嬉しいです!と書き始めたり、新着収録放送を毎日聴き続けていいねやコメントを贈ることが日課になりました)、300名もの方にフォロー頂いておりました。この頃はまだ、「LIVEこわい病」だったので、誤ってLIVE中の配信に入ってしまったときは、秒速でタスクキルしてました(ひどい話だ)。「話しかけられるのこわい、出辛くなるのこわい…」みたいな感じです。


2.ライブとの出会い

 他の方の収録放送をきくことがメインでしたが、ちらほらと「ライブアーカイブ」を見かけるようになります。


 そうです。stand.fm cafe(@3710_tokyo)です。コメント欄はアーカイブされないので、配信者の方の声しか情報がないのに、挨拶と他己紹介とコメント拾いの様子を聴いているだけで、「その空間が楽しそう」というのが伝わってきました。数日間、アーカイブを聴くだけの日々が続きましたが、リアルタイムでやっているタイミングを見つけて飛び込んでみたところ、「やっぱりその空間は楽しかった」んですよね。「ライブこわい病」が寛解へと向かい始めた瞬間です。

 人のライブに参加し続けて(聴く専問でした)いると、段々と喋ってみたくなってきました。でもライブに飛び込む以上に、自分がやるのは怖い。LIVEボタンを押そうとすると心臓がバクバクいって呼吸が浅くなりました。なんなんでしょうねこの緊張感。「人は来るだろうか?」「きてくれたとしてちゃんとコミュニケーションをとれるだろうか?」「空白の放送事故にならないだろうか?」「来て欲しいけど来てほしくない」。そんな言葉が頭の中に渦巻いていたように思います。

 意を決してライブをやった初回、自分の拍動が自分の耳に届いて、ライブ中ずっと緊張感がありましたね…。やー、心臓が口から飛び出そうだった。そんな感覚を覚えているから今でも、「初めてライブやってます」「今度挑戦しようと思います」という方をお見掛けすると、応援したくなるんですよね。あの緊張感を乗り越えてライブするんだ…すごいなぁ、と思って(僕が緊張しいすぎるだけかもしれないけれど)。

 そこから、「人のライブに遊びに行く」、「料理のタイミングでライブをやってみる」といった楽しみ方をするようになりました。中高生の頃にチャットやスカイプ文化に慣れ親しんでいたので、テキストでコミュニケーションをとる、ということがすぐに好きになりました。反応がかえってくるって嬉しいなぁ、と。

 ライブに遊びにいったり、やったりしていると、そこで出会う方々のことにも興味が湧いてきます。「いつもコメント欄で楽しそうなこの人はどんな声なんだろう?」それで、収録を聴きに行くんですよね。そこからすっかり内容にハマったりして。僕は配信者の数だけコミュニティが存在していると思っていて、色んな配信・収録に足を運んでは(耳を運んでは)、自分の世界像が拡がっていくのを感じました。飲み屋街を梯子する感覚。それぞれのお店にちょっと顔を出しにいく感覚です。

 僕は妻と二人暮らしなので、自分がライブをやるのは料理をするときだけ、と決めていました。リビングで妻がいるのにライブやるのは、「話したり音楽聴いたりする」ことを制約することになるし、ネタなしでやれるほど肝が据わってなかったからです。料理配信なら、料理作業に集中してもゆるされる(間が持つ)し、そんなに妻の邪魔にもならなそうだし、ちょうどよかったんですよね。他の方のライブに遊びに行って交流していたので、そこで出会った方々が遊びに来て下さって、ここでも交流が生まれました。Twitterで写真も見せられましたしね。

 しばらくはそんな、「人のライブに遊びに行く」「収録は毎日新着チェックをする」「たまーに自分も料理ライブをやる」といった使い方をしていました。自分もライブを決まった時間にやれるようになったら、もっと露出面がとれて、交流幅広がるかもしれないなぁ、と思ってはいましたが、前述の理由から、手を拡げてはいませんでしたね。このあたりがフォロワー500~800名くらいの時期だと思います。「仲良し!」な感じでstand.fm内でもTwitterでも交流が増えたのはこの頃です。


3.ライブを「やる側」へ

 そして1か月半前。ハンドパンと出会います。TwitterでDMを頂き、ハンドパンを譲って頂くコトになりました。この辺りの過程は、第100回収録の直前に収録放送していましたね。購入に至るまでの一週間、葛藤がありました。高いし。

 ハンドパンが手元に来てから一週間、「せっかくだからこれを使ってライブをしてみよう」と思いつきます。一週間毎日、ライブでハンドパン練習を配信してみました。思った以上に人が集まって下さり、言葉をくれて、交流することができました。そんな一週間分の体験を言葉にして、妻に話しました。関わってくれる皆さんに背中を押して頂いた想いです。「単に新しい楽器を始めた」ということに留まらず、「人生におけるチャレンジを始めた」と捉えられたのは、この時期に遊びにきて下さった皆さんのお陰なんです。妻に泣きながらプレゼンしました

 一週間「せっかくだから」とライブ配信していたハンドパン練習ですが、一週間つづくとその先も続けたくなっていました。高いの買っちゃったし。そうして本日時点で47日連続配信しています(うち二日はウクレレになってますが、ご愛嬌ということで)。フォロワーの数は1,100人をこえました。

 今では「毎日1時間ごとに聴きたい」「夜にきくとすっと眠れそう」「声と相まってとても居心地がいい」といった嬉しいお言葉をもらえています。ハンドパン自体も毎日練習できていることもあって、初日に比べて随分上達したように思います。いつも出鱈目な演奏ですが、それでも喜んでもらえるのはやっぱり嬉しい。

 アクティブな交流も増えました。「人が繋がる触媒になれるような場づくりをしたいなぁ」、と思っていたところ、僕のライブ配信中でユーザーさん同士がコラボライブを企画して下さったり、僕にもお声掛け下さったり。そうやって接点をもつきっかけになれたことが本当に嬉しかったです。仕事がスランプで思い悩んでいたら、対面で人生相談にのって頂いてしまったりもしました(すがけんさん、本当にありがとうございます)。これ、ハンドパンライブをやっていなかったら生まれなかった関わりです。


4.あえて数字からおりて、追いかける数字を探す

 禅問答みたいな小見出しになりました。「フォロワー1,000人」というのは、実は密かに掲げていた目標でした。僕がstand.fmを知るきっかけになった、Goodpatchの土屋さんがあるときの収録放送で「1,000人にフォロー頂きました」とお話されていたからです。「世間的に何者でもない僕でも、メディアを伸ばしていくことはできるだろうか。チャレンジできるだろうか。」と思いました。(目標としては)数字を見て継続していたことですが、その過程で交流がたくさん生まれたこと自体に楽しさを感じてきました。そして、1,000人を超えたあとは、追いかけるのを辞めました。

 先日、尾原さんと前田さん(SHOWROOM)、そして野呂さんの鼎談(Forbes JAPAN)を聴いていて、その場で本がアップデートされるのに立ち会いました。「数字には、追いかけると奴隷になる数字と、追いかけるべき数字とがあります。」。その肝は数字に触れた時の温度である、と。「その数字がなんの結果であるか」をきちんと設計すること。例えばSHOWROOMでは、「演者と応援者との間で、利他的行為が最大化されたときに、会社業績が最大化される」ような設計をしているそうです。これはSHOWROOMが世の中に生み出したい価値が生じた結果を見える化した数字であり、追いかけるべき温かい数字である、と。

 KPIを何と置くか、というと身もふたもないようにも感じるのですが、「世の中で”この数字がすごい”」と持て囃されているものであっても、その数字が本質的に何を意味しているのか、ということに向き合うべきだ、という示唆だと捉えました。


5.一人一人と向き合うこと、その掛け合わせを増やすこと

 冒頭で紹介した『あえて数字からおりる働き方』でも、すがけんさんから説いて頂いた「お金の話」でも、通底するのは「ありがとう」と自身の行動を紐づけることの重要性。高度にシステム化された社会においては、自分の欲するものは人を介さずとも叶えることができます。そこでは、ありがとうを伝える余地と、ありがとうを受け取る余地とが、削り取られてしまっている。ありがとうの交流の場が減ってしまったことで、自分の行為が何を成しているのかが見えづらくなり、「頑張っているのに苦しい」「そもそも頑張る気になれない」といった現象となっているのだろうな、と感じました。フィードバックのない中で何かに打ち込み続けるというのは、結構な精神的エネルギーを消費する。

 stand.fmは、交流の接点を取り戻してくれる「場」としての機能を果たしてくれているように思います。「ことばが届く」「声でも届けられる」「ライブでリアルタイムに何かしらの価値を贈れる」といった交流接点。「好き」で繋がることのできるプラットフォーム。配信者の数だけコミュニティが生まれ、各人の好きに所属したり、形成したりすることができる。承認されたり、所属することができたり、誰かの夢に触れたり、一緒にその中に乗り込んで「夢中」になれたり。

 「遠く」の人と繋がることができるツールで形成されたコミュニティ。たまに摩擦や軋轢が生まれることもあるし、「道具の使い方」を誤ることもあるけれど、自分が「所属できる居場所」が、多様に多数生まれている場所というのは、それだけ自分の精神的安全性を高めてくれる効用がある。変化の激しい時代に「絶対的な安全地帯」を想定できないとしたら、せめて自分の足場を多様に多数もっていることが、生存戦略にも適う。


6.翻って、自分のコミュニティ形成

 僕は場づくりのコンセプトとして「とまりぎ」というものを掲げています。ユーザーの皆さんは鳥です(他の動物でもいいんですけど)。各人、人生の道中、来し方も行く方も十人十色。でも、ほんのひととき、同じ場所で羽を休めることがある。ここで出会った他の鳥との交流が、道中を愉快に彩るかもしれない、行く方を拡げるかもしれない。そんな「きっかけ」になるような場を創りたいな、と思い、日々のライブ活動を行っています。ハンドパンは、「羽を休める口実」です。

 お立ち寄りの際は、音を楽しむでもよし、樹に話しかけるもよし、鳥同士で交流をはかるもよし。また飛び立つためのエネルギーを、どうか蓄えていって下さい。

 最近は、そんなことを考えています。


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