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稽古考15

■ 2002/11/12   「少年部の礼」考

少年部の昇級試験をおこなう。あすか野、郡山、三松禅寺各道場、30名を越える。それぞれ皆、技の部分は何とか上手くなってきており、それでよいのだが、「礼法」の基本的なところが、どうも抜けている様に思え、試験を始める前に長~い説教。

少年部の道場での事故は、ふざけている時がもっとも多い。事故でなくても、ふざけの「遊び」が高じて「いじめ」に近いような行為になる場合もある。

先週の金曜日、郡山道場の例で言えば、道場に入って行く時、我先に押し合って十数人が入った為、一人がドアに脚を引っかけ怪我をした。幸い軽いもので済んだが、整然と入り口を通れば起きなかった事だ。

土曜日の稽古では、ふざけあっていた子供が更衣室に鍵を掛け、一人の子を仲間外れにして遊んでいる。そんな混乱した状態。いままでの合気道稽古は子供達にとって何だったのか。指導する者として、考え込んでしまう。

道場で教えられる事柄は高が知れている。子供たちが過ごす時間は家庭や学校がほとんど。現在、少年部でやっていることは、家庭での我が儘や学校での遊びの部分を如何にして道場で出させないか、と言う、何とも情けない実情がある。

私は少年部を指導するについて、難しい表現であっても合気道に関する語彙はそのまま使う。説明も一応におしなべてする。勿論、出来るだけ平易な表現にするが、それでも6年生から1年生までは結構な隔たりがある。完全に理解できているかどうかは頓着しない。しかし、繰り返し言う。私はそれが子供らに対する関わり方だと思ってやってきた。

本題の「礼法」に戻る。私が繰り返し言い続けてきたことは、当然ながら道場の入退場時は必ず礼をする。技の始めと終わりには、互いの礼をする。ですが、もっと肝腎な事は、互いの人格を尊重する。と言う事で、それをいつも平たく説明している。稽古に於いて仲間はずれは絶対つくらない。自分がされて嫌な事は、絶対に他人にしてはいけない。この二つが「礼法」の中心部分だと言っている。

勿論、そんな事は「あたりまえじゃないか」と思われるのですが、この「あたりまえの事」が大人社会ででも、本当に出来ているだろうか。大人社会で出来ているのなら、子供がその事を学ばない筈はない。と、私は考えます。相手が子供であっても、基本的な「礼」を持った対応をすべきで、それを欠いた「頭ごなし」の態度は、子供の持っている感性で見抜かれてしまう。

「礼」については、尼崎道場長 寺谷 淳 先生の「平成拾四年年頭に当って」が大変参考になる。

(原文ママ)

合氣道に限らず一般に武道では「礼」を重んじる。所謂「礼に始まって礼に終る」であるが、それは合氣道に於ては日々の稽古時間の始めと終りに敬意を表わす挨拶だけのものではない。互いの礼の交流によって彼我一体となって相手の氣も己に流入してくる。 (中略)  自分以外の凡てのもの我が師と考えるから、相手が師、先輩の場合は勿論のこと仮令同輩、後輩、将又子供であっても尊敬と感謝の念を忘れず、これを言葉と態度で顕さなければならない。 (後略)


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