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企業勤めと不安 (質問の返答)

SNSでテーマや質問を募り、それについて書いてみたり自分の書きたいことを書いていったりしようと思っています。画像はテーマ毎に毎回書き下ろしていこうかと思います。あと、収益化は絶対しません。

早速質問を頂いたのでお答え致します。

企業に勤めないことに不安とかはありましたか?(22歳大学生・男)

結論から申しますと、「不安があった瞬間があった」です。詳しくは長くなってしまいますが、読んで頂けたら幸いです。

私は、イラスト系の専門学校に通っていました。二年目、皆が就職活動をしている中、私はお得意のおさぼりをしていて気がつけば学校を卒業してしまいました。親にお金を出して貰っていたし、その頃は一度親を安心させたいという気持ちもあって卒業後、桜が舞う中就職活動を始めました。

結局就職先は決まらず、アルバイトという形でフリーペーパーの編集部に入社しました。コンクリートの照り返しでむせ返る暑さの夏でした。そこから割とすぐに正社員登用の話が出て、正社員となり、2、3年働いていたかと思います。

ある時、社内で私に些細な事件が起きました。詳細は省きますが、その事をきっかけに会社に行きたくなくなり会社を辞めました。辞めたくなったらすぐ辞めてしまう性分なのです。昔からそうでした。そこからニートが始まります。当時実家ぐらしだった為、最後の給与を細々使いながら過ごしました。暫くして、テレアポのアルバイトとヴィレッジヴァンガードのバイトを掛け持ちで始めフリーターになりました。このフリーター生活も2年程で終わってしまいました。

高校時代に進学予定だった専門学校の先輩にイラストレーターとフォトショップの使い方を教えて貰い、そこからイベントフライヤーや知り合いのMIX CDのジャケットデザインなどをやっていたので、社会人時代もフリーター時代もニート期もそれは平行して続けていました。しかし、それだけではいくら実家とはいえ全く足りません。20代も半ばになり、流石にこのままはヤバそうだと思いました。師走のある日、以前働いていた雑誌社の上司から電話がありました。内容は「戻って来ないか?」という話でした。

丁度その頃ニートでお金もカツカツだった私は、二つ返事で再就職を決めました。年始から新たなスタートです。しかし、初出勤から数日後、父が死にました。父は私が小さい頃に糖尿病を患い、母からは「パパはおじいちゃんまで生きられない」と小学校の頃に宣告されていました。パパっ子を自称するほど父親が好きだった私は、心の準備をしていたつもりでもいざその時が来ると受け入れられないわけではないが、何も手がつかなくなってしまい葬儀の為に取った有給が過ぎてもずっと自分の部屋に籠もり、父の友達が父に貸していたiPadでひたすら2chを布団をかぶり眺める日々が続きました。

会社の人達には迷惑を掛けてしまったけど、皆優しかったです。1ヶ月ほど休んでいたと思います。復帰も受け入れてくれ、締切ギリギリで会社に泊まったりなんて編集部っぽい忙しい日々が始まりました。

そこからまたすぐに大きな出来事が起きます。

東日本大震災です。当時働いていた会社は渋谷のオフィス街にある10階建てのビルの最上階。凄く揺れました。揺れが収まった時、非常階段で地上まで降りました。周りの会社の人達は、ヘルメットを被って避難して慌ただしくしていたり、帰宅しようと駅に向かったりしていました。しかし私達は余震が続く中何の指示もなく会社の前の道路にただ立たされ、何も出来ない時間が過ぎていきました。

30分以上過ぎていたかと思います。社長が「会社に戻って仕事続けて」と言いました。内心「嘘だろ、アホかよ」と思いましたが仕方なく社内に戻り、仕事をしようとするのですが、社内はグシャグシャだし余震もある。仕事なんて出来る状態ではありませんでした。

結局夕方、帰宅命令が出され、帰宅困難者がごった返す渋谷に放り出されました。電車も止まっているし家には歩いて帰れる距離ではない。寒いし怖いしどうしよう。

電話も繋がりにくい中、同じく渋谷で働いていた友達と連絡が取れ、渋谷109の前で待ち合わせるも駅の反対側に行くだけで1時間以上掛かってしまい、友達はもうおらず、携帯の充電も切れそうだった。

センター街のビルとビルの隙間にコンセントを見つけ、そこから充電をして再度友達に連絡。友達は渋谷に住む別の友達の家に避難させて貰っているらしく、私もそこに避難させて貰った。この時のサバイブ感は私の中の何かを覚醒させるような高揚感があった。

深夜やっと電車が動き出し、無事に帰宅。しかし、もう会社に行きたくない。放射能だとかで家から出たくない。次の日から会社を休んだ。

私はあの日、余震の続く会社の前の道路で思った。

「会社は私を守ってくれない」

会社に来ない私に上司が電話で「みんなも大変な中来てるんだから」と怒り、諭すように「俺も家族を守るために会社に来て仕事をしてるんだ。飯を食わせるために頑張ってる。マイルも頑張ろう」と言った。

その時、私は家族を守るとはこんな余震が続き、原発事故による放射能に怯える不安の中、側に居ない事が守ることなのか?と強く思った。皆不安だし、身の危険がある中会社まで来て納品することが仕事というものなの?好きな上司だっただけにショックだった。

「もうやーめた」

完全に思ったのだった。

そこから一回だけ出社して会社を辞めた。辞めたというか殆どバックレ。自分には合ってなかったんだと心の底から思った。働いている人達を否定することは出来ない。でも、企業に勤める事が安心に繋がるなんて事は全く思わない。企業に勤めない事に不安などない。寧ろ、企業に勤めることの方が怖い。委ねるという事は凄く怖い。自分のやりたい仕事で、時間の自由があって、給料も仕事に見合っていて、休みたい時に休める会社なら良いだろう。そういう会社もきっとあるだろう。でも会社はいつ失くなるか分からないし、クビになるかもしれない。ただ、単に企業に勤めるという事は得体の知れないものに自分を丸ごと預けてしまうような不安がある。

企業に勤めない事による不安は恐らく、大雑把に言えばお金と世間体だろう。前半に書いた20代半ばに「流石にこのままはヤバそうだ」と思ったのは確実にお金と世間体でした。でも、なんでお金と世間体があれば逆に不安じゃないのか?

会社を辞め、会社、社会人というものに完全に冷めて興味がなくなった私は、暇で好きなことだけをして過ごしていました。ある時、欲しいと思った服があって、でもそれは手に入らないので自分で作ろうと思い、作った事がキッカケで色んな物を作って自分で売るようになりました。本当に自分は運が良かった部分もかなりあるけど、それで少しづつ稼げるようになって仕事の幅も広がって行きました。自分のペースで作りたい物を作って自分で売って自分でお金の計算をして自分でお客さんとやり取りをして発送して、という作業が物凄く楽しかったです。全部自分で見えるから、分かるから安心なのです。会社はその辺が全然見えなくて不安なんです。見えないから楽しくもないし。自分のペースで出来ないし。楽しくて安心だと続くし。企業勤めをしていた期間より個人事業主期間の方があっという間に長くなりました。

仕事についてはまた別の機会に書けたらなと思います!

質問くださった方、ありがとうございました!

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