(ネタバレ有り)シン・エヴァンゲリオン劇場版 感想

僕がエヴァに最初に触れたのは中学生のときだった。当時ガンダムにドはまりしていた。その延長でロボットアニメを期待して手にとった。深夜に目をこすりながら見たので正直内容はあまり覚えていない。途中までエヴァが使徒を倒すロボットアクションアニメとして楽しめていた。後半で話が進むにつれて戦闘シーンそのものが少なくなってどんどん話が内省的な方向に向かい、つまらなくなっていったというのが率直な感想だ。最後の数話からは戦闘シーンはゼロに近くなるが、一向にちりばめられた謎は解明されず話が進んでいるようには到底思えなかった。25話を見終えても最後の1話で分かりやすく終わると信じていた。だから26話はものすごくショックだった。これまでの話を放棄している。理解不能だった。とんでもないアニメだなと茫然自失となりながら腹が立った。それでもなんとか完走できる程度には引っ張る魅力があったんだなという程度だ。ここで興味をなくしたので旧劇場版の存在を知る由もなく、高校生になってガンダム含むロボットアニメのジャンルそのものから遠ざかっていった。

ふたたびエヴァに触れたのは大学生になって二年目の一月の旧劇だった。ツイッターでフォローしている人が紹介していたとか、そんなんだったと思う。そこでちょっと気になって内容を調べてみるとテレビ版では放棄されたあの人類補完計画云々の続きが描かれるというのである。最後の最後で語りを放棄されたと思っていたので寝耳に水だった。最後が気に食わなかった人への救済じゃんか!ちゃんと話終わらせたんだ!と。観た直後はとりあえずすごいものを体験したとしか言えなかった。続けて二回目を観てとりあえず入れ込んでるオタクは現実に戻れというメッセージは確かに受け取った。だけど皮肉にもここでエヴァンゲリオンおもしれえ、と思えた。当時リアルタイムで追ってきた人たちの目には、自分たちが拒絶されたと写ったかもしれない。だけど自分はとにかく話を語って終わらせてくれたことが何より嬉しかったし、基地に敵が攻めてきて世界が破滅していく展開がああ、終わりに向かっているという感じがして気持ちよかった。何より中学生のときから私にとってエヴァは完結していなかった。やっと終わってくれた、長年のモヤモヤが取れたとでも言おうか。そのまま新劇場版3部作を観た。しかし旧劇場版の尖りを観てしまった直後に観たのでテンションの違いについていけなかった。ふざけていて、明るかった。90年代末の閉じて退廃的な空気はそこにはなかった。その後シンゴジラを観て庵野秀明という作家を好きになり、手がけた作品を観たり、インタビューを読んだ。エヴァ関係者がテレビ版の制作当時の状況を告白したスキゾとパラノも読んだ。そこで庵野は言っていた。私の作るものは斬新さや真新しさはなく先人の創作物のコピーに過ぎない。そこに私の生きている人生、プライベートなものが入り込むことでただのコピーではない魂の入った作品になる。これが彼の創作論だ。戦争の経験もなく、安保闘争など社会運動に参加するわけでもなくただテレビで流れるアニメや映画、漫画に浸るしかなかった。リアルな体験が失われた世代ならではの苦悩だろう。映画は作家主義が強い。監督の名において作品が語られることが強い文化だと思う。分業で作業が分かれているので監督だけで作られている訳ではないのだが。だから私はシンエヴァを観るころにはエヴァンゲリオンの世界に入っているつもりはなかった。映像を通して庵野秀明の人となりを見ようとしていた。主人公碇シンジに共感したりするわけでもなく、綾波やアスカに入れ込むわけでもなく。ところが見終わった後、食らっている自分がいた。直前に序破Qを一気見したのが災いしたかもしれない。心をスクリーンに置いて来てしまった感覚だ。ここにいる心地がしない。なんだこれは。かたや一緒に見た友達は晴れ晴れした顔でよかったとまで言っている。庵野秀明のメッセージを素直に受け取れなかった。一歩引いて観ていたのに最後の最後にエヴァに乗って降りられなくなった気持ちだった。まずい。重めの呪縛にいつのまにかかっていたみたいだ。引きずるわけにはいかない。フードコートで腕枕をしながらその日に二回目を観る決意をした。

二回目でやっと受け止めることができた。やっていることの奥深さと真摯な姿勢に感銘を受けた。以下は本題のシン・エヴァンゲリオン劇場版の感想。

最初にご丁寧にこれまでのエヴァンゲリオン、と言ってyoutubeにも挙がっているsン劇場版の振り返りから始まる。シンジのこんなののれるわけないよぉ!で笑ってしまう。情けなさと50mの巨大兵器を前にしたらそりゃそうだという気持ち。0706作戦はいい。アクションとしては一番見やすくて動きのある見せ場のシーン。アバンタイトルはちょっと昔の角川映画オマージュぽい。クレジットの出るところが麻雀放浪記と同じだったから。バックで流れるのは犬神家で聞いたような曲。古い邦画の形式で始めるところにもう趣味全開。シンジはやっと自分の起こしたことの悲惨さを認識して耐えられずうつ状態に。ここから舞台が第三村に移る。ここで描かれていることに驚く。現代のようなテクノロジーの影はなく、戦後みたいな風景。庵野秀明の原体験?子供を育み、共同体のために働く。今は亡きムラ社会みたいな。ここで市井の人々の営みが描かれていてびっくりした。ネルフとその周辺の人々という限定された人間しか描けなかった彼が”何でもない人”の目線から人間賛歌をやってる。。セカイ系なるものに欠けていた部分を修正している。。。

ソーラーパネルのついたプレハブ小屋が並ぶその風景はまさしく3・11後のこの世界だ。現実を反映した虚構。長らく庵野がテーマとしてきたものだ。Qの理不尽な世界にも、希望は残っているというメッセージの続き。

無垢故に利用され大変な罪を犯したシンジ。その彼が背負う十字架はとてつもなく重い。だが、向き合わなければならない。償えない罪はない。シンジは皆のやさしさに触れ、泣きじゃくる。変わってしまった世界で事実を受け止めて生きていく。シンジの眼が座っていた。エヴァで起こったことはエヴァで変えればいい。虚構を脱出し現実(こちら)にやってきたシンジ。シンエヴァでは並立して描かれ最後には溶け合っていた。虚構は現実の糧になるし、現実を生きていなければ虚構のすばらしさは分からない。相互に補完しあう存在。どちらも等価にすばらしい。マイナス宇宙の描写は作品内における虚構だ。何でもありの世界。旧劇では現実は世知辛いがそこで生きなければいけない。ここから出ろ。そんな風に感じた。今作ではアニメの魔法、魅力が至る所にある。浜辺でシンジが線へと解体され、マリが迎えに来て色がつく。”君”の存在が世界を輝かせる。手を差し伸べる記号が随所に。人が人を助け合う。そしてシンジは駅でdssチョーカーをマリに外される。呪縛の解けた瞬間。庵野秀明がエヴァにもう乗らなくていい世界へと書き換わる。卒業宣言だ。階段を二人して駆け上がる彼らを見送る暖かいまなざし。カヲルの言葉を思い出す。魂が消えても、願いと呪いはこの世界に残る。意志は情報として世界を伝い、変えていく。いつか自分自身のことも書き換えていくんだ。この言葉を信じている人が作った誠実さがきちんと表れていたと思いました、

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