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1歩踏み出す勇気

私は高校を卒業して地元の大手企業でもある、某冠婚葬祭会社から内定を頂いた。

そうして春から研修を得て希望していた婚礼サービススタッフとして働く予定だった

研修といっても、3ヶ月間に渡って冠婚葬祭について学び、実際に現場にいっての研修もあった               そんな時に出会ったのが一人の女性だった。

主に葬祭の仕事、兼新入社員指導者でもあった

その方の話し方はとてつもなく引き込まれるような何かがあった。話を聞く度にのめり込むような何かがあり、私は葬儀に対する興味が大きくなっていった。

元々おばあちゃんっ子だった私にとって、祖母孝行を大切にしていたのもあり最終的な目標は葬祭ディレクターの資格を取り人生最期でもある葬式は私が1から携わりたいことだった。

そうして、上司へ相談をし希望配属の異動が決まった。私は誰にも相談をせずに決断してしまう癖があって仲の良かった同期にも配属の1週間前まで黙っていた。

配属先で始まった研修。何もかもが刺激的でとにかく毎日が忙しくて充実していた。

事件が起きたのはそれから1年後の話になる

私は2番目に大きい葬儀会場で仕事をしていた。       1番大きい葬儀会場に異動して欲しいと頼まれた      そこは誰もが恐れる、御局様とも呼ばれる女性スタッフや尻に敷かれる役職者達が集まっているホールだった                     

「絶対に行きたくない。異動するくらいなら辞めます」そう伝えた。社員の心に寄り添えない上司は冷たい目線でこう放った。「社長命令だ。行け」  

異動するくらいで辞めるなんて甘すぎる。そう思う方もいるかもしれない。でも御局様を初め、後ろについている子分たちみんなから虐めを受ける。それが何より怖かった

数日後、泣く泣く異動をした。初めは御局様のご機嫌を取ろうと、みんなが嫌がる仕事を積極的に引き受けたり、みんなで集まってコーヒーを飲んで休んでいる時に1人で抜けて残った準備をしてみんなが仕事を始める時には全て終わらせている状態にしたり、朝は誰よりも早く来て準備を終わらせていたり、とにかく虐めの対象にならないように、嫌われないように必死だった。                

ほどなくして、次世代の新入社員が入ってきた。    

案の定、何も出来ない新入社員は虐めの対象になった。「使えない。」「社会人としておかしい」と御局様は口々に言っていた。初めて社会に出た18歳の彼女達に求めるものが多かった     

耐えられなくなった一人の新入社員が辞めてしまった。

噂では聞いていたものの、初めてみた虐めの現場は残酷だった。それから私は先輩なのに守ってあげられなかった自分を責めた。

次のターゲットになったのは、もう1人の新入社員だった。私は守ると決めた。何をされても全力で庇った

数日後、先輩達から無視されるようになった。すぐ分かった。「今度は私か。」って、、

 ターゲットが変わった。私の番だった。今までより1番酷かった。無視や物を隠されるのは当たり前。ありもしない噂を流され、ミスをしても助けて貰えなくなった。4階の建物の1番端にある女子トイレに押し入れられて説教をされた事。絶対に忘れない

そんな毎日が4ヶ月も続いた。ここで辞めたら私の負けだ。耐えろ耐えろと毎日自分に言い聞かせていた。誰にも相談出来なかった

私は何もしていない。ただ虐められている後輩を庇っただけ。何でも仕事を引き受けていた事が評価され他で働く社員の方からも沢山褒められた。それを御局様達は気に食わなかった。それだけで虐めの対象にされた


突然ある朝。出勤途中に大粒の涙がこぼれて止まらなくなった。その時に「あぁ、もう限界かもしれない」そう思った。我慢できなくなっていた

すぐ上司に相談した。辞めることなんて許されなかった「大丈夫〜大丈夫〜!俺が守るからさ〜〜!」      なんて。笑いながら言われた。本気で思っていないくせに。

現実は甘くなかった。すぐ御局様にちくられた。私が貴方達に虐められてるから辞めたいって言ってたよ〜〜って。え?それってちくることなの?知らせていいものなの?

それからヒートアップした。もう止められなかった。初めは割り切って、「私が我慢すれば大丈夫」 そう思っていたけれど、人ってこんなに涙が出るのかってほど毎日いつでもどこでも涙が止まらなくなった

強行突破で退職届を出した。

目の前で破かれた。「え……?」  逃げ出した足が止まらなかった。「なんで?なんで?」私のイメージでは退職届を出したら辞められると思っていた。

結局私は退職届を4回出したが受け取って貰えなかった

私がこの仕事をするきっかけになった女性に連絡をして、時間を作ってもらった。全て伝えた

5回目の退職届を出した。やっと受理された

原則として退職届を出して一ヶ月働いて退職する決まりだったので、辞められると自分に言い聞かせながら頑張って働いた

もちろん、優しい先輩も人として尊敬している先輩もいて仕事自体も好きだった。天職だった。でも職場環境には耐えられなかった。限界だった

退職する事が決まってからの1週間は地獄だった。最後の最後まで追い討ちをかけるかのように虐めは続いた。

私の最後の出勤日の日、終礼があった。御局様は変な理由をつけて早退した。最後に放った言葉は絶対忘れることは無い。「さよ〜なら〜  お元気で!んじゃ!」今でも脳裏に残っている


どんな事があっても、内定を頂いた職場を簡単に辞めてはいけない。辞めることが逃げだ。そう思っていた

でも今は辞めて正解だった。辞めて良かったと思える

逃げる勇気も大切だなって思う

逃げると思ったら次の職場も知られなくない、居場所も知られたくないと思ったらどこまでも遠くに行きたくなった

次の転職先は東京に進出することになったことも誰も知らない

私が言いたいのは社会に出て1日の半分以上職場で生活をしている分、心を痛めてまで我慢する必要はない事。自分の身は自分で守ることです。

トラウマも精神的な病も1度ついてしまえば抜け出す事は難しいです。頼れる人がいるのなら頼って下さい

辛い思いをする人が1人でも減る世の中になって欲しいと強く思います


            

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