岡崎京子展「戦場のガールズライフ」へいってきたよ

世田谷文学館でやってる岡崎京子展「戦場のガールズライフ」にいってきた。会期は今月31日まで。


あのあたりに行くのは初めてだったのでいくまではちょっと億劫だったけど行ってみるとわりと簡単で早かった。場所の雰囲気としては世田谷の住宅地感がたしかにありつつ、でも他の地域よりも広い印象。まああの場所がそういう場所だったというだけかもしれないけど(すぐ近くにゴルフの打ちっぱなしとかあったし)。


そういう土地柄のせいか文学館という位置づけのせいか来場者にもあまり岡崎京子のことを知らない世代のじいさんばあさんがちらほらで「このひと世田谷の出身だって」「有名なの?」「孫に見せたら喜びそうねえ」みたいなことをいっていた。美術館とかそういうものにとりあえず行っとけ的な層というのはいるものなので(上野のときもおもったけど)。


内容はごく簡単についったにめもってたんだけど


この展示の冊子はこれ

小沢健二が寄せた文章の要約としては「消費とかなにかに流されてるみたいな人が聞いて嫌なこと、イヤミなことというのは有名になった人、人気者はいわないものなのにおかざききょーこはいう。特にヘルタースケルターは全面そういう作品だった」みたいなかんじだった。そしてあのコンサートに岡崎が来てたときのこと、その3年後ぐらいのオペラシティでの千秋楽にも岡崎が来て、あとで昔のいっしょに撮った写真を見て懐かしんだ、みたいなの。

「会場に岡崎京子が来てることを意識すると泣いてしまいそうだったから歌ってる最中はなるべく意識しないようにしていたけど、さいごに『岡崎京子が来てる』って会場に紹介した時、それを聞いてざわつく会場の様子に足をバタバタさせて面白がる岡崎京子の様子をみたとき、泣きそうになってしまった」

というのをみてちょっと胸熱だった。


リバーズエッジの部屋は撮影禁止だったけどヘルタースケルターの最後のりりこの登場シーンを書割でつくったものは撮影可能だったので撮ってみた

こうやってみると照明の当て方とか、あの非現実的な感じを上手く再現したものだなあと。


リバーズエッジの部屋の写真や岡崎京子展についての紹介はこちらで見られる。

「わたしたちの」岡崎京子展 今日マチ子ギャラリートークレポート | MangaStyle

http://manga-style.jp/press/?p=22758


エントリでだいたいわかっていたつもりだったけど、こうやって来歴を見てみると意外なこともあるもんだなと思った。

岡崎京子の時代: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414413825.html


小学校高学年のころまでには絵として発露してなかっただけで「ああいうかんじ」が既に固まっていたこと、もともとサブカルっこだったけどその発露の方向性としてたまたまイラスト・漫画があっただけぽかった。もともとは好きな洋楽に関する同人誌にそれに関わるイラストを投稿したのがきっかけだった。

その後に一端は就職したことからも女子大生時代にも漫画どっぷりというわけでもなく、むしろ新宿のディスコなんかでの夜遊びがメインだった。

でも、萩尾望都にはやいうちにたましいをもっていかれていたのは確かで、そういう意味では漫画は一生ものだったのだろうけど特にそれで食べていこうという感じでもなかったぽい。そういう意味ではただ有名になりたいだけのワナビとも違って現実的落とし所が見えてた感じ。「こういうのは同人を中心にたのしければいいや」的な俯瞰、自分の才能に対する客観視みたいなのがある程度あったのではないだろうか。

でも、同時に同人を通じた活動がどんどん面白い方向につながっていって、頼まれた仕事をこなしているうちにだんだんとプロになっていたのだろうけど。

そういった変化は画風にも表れてるようで、1983から85年で急激に画力が上がっていっていた。この時期は短大のモラトリアム期で、その間に投稿した作品や同人に載せた作品が思ったより反響がよく、自分でも描いているうちにどんどんうまく、自分を表現できるようになっていっていたのでおもしろくてたまらなかったのかなあと想像される。しかし、この時期を抜けたあともまだ先行する作家の影響が残った画風であることは否めなかった。

それがいくつかの連載をこなしていくうちに、連載の合間に絵の練習をしているうちにどんどん自分独自の表現、画風として固まっていったのだろう。萩尾望都や大島弓子、高野文子といった画風に自分が好きなファッション誌の人体デッサンを重ねたような。ぷりっとしているけど野暮ったくないおしゃれですこしエロティックな肢体の表現。

そういった表現、画風が80年代後期から90年代初頭にかけて固まっていった。ちょうどバブルの全盛期に向けて。

そういったファッションと脳天気さ、あるいは「軽いこと」がおしゃれだったあの時代の気風を基本としつつ、そこにニューアカ的な陰影もまとってテーマとしての岡崎京子独自のものがだんだんと固まっていった。

「えらいひとたちがどういうのかわからないケド、ずっとおしゃれの最前線であそんできたアタシたちのほうが消費やファッション、それを愉しんだり、それに苦しんだりっていうのはわかってるつもりよ?」

岡崎が表現し、代表したのはそういった「わたしたち」の声だった。


会場にはかつてのオリーブ少女と思われる人たちもちらほら集い、単にひとりの漫画家の展示というよりは80年代、90年代を懐かしむ展示の様相も呈していた。


自分的には今回の展示で岡崎京子に関する個人史的なものがわかってよかった。戸川純は岡崎にとってもアイドルだったようだし、ボリス・ヴィアンやその周辺は中学生段階から好きだったということ。一般的には原画が多いので漫画家のひとなんかが重宝するのかなあとか。


あと、短篇集「森」が思ったより後期岡崎のソリッドなところを表していたようで、機会があったらちゃんと読んでみようかと思った。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?