野菜の花ぐらいの鉢植えと野菜の花ぐらいの映画を
きょうぐらいは映画みようと少し前に借りてきた日本映画を見てる。なんとなく「スウィートリトルライズ」ぐらいの日本映画がみたくなったので。
なんとなく「空中庭園」あたりかなとおもったしツタヤの棚でもスウィートリトルライズと同じ棚にそれがあったのだけど借りられていたのでその棚のほかの作品を物色するもなんとなく気が乗らず…。やはり「ラブストーリー」コーナーにわけてあったのが却って気に障ったのだろうか。
けっきょくなんとなく「世界はときどき美しい」という作品を借りて見てる。とりあえず「詩的映像美」とかいうのだったし、それほどストーリーに期待せずにあたま( ゚ ρ ゚ )ボーっと映像の詩みたいなのが感じられると良いなあとか思ってただけなの。
結果的にほんとに映像美だけの映画ぽく、だんだんと飽きてほかのことしだしてるんだけど。。
たぶんベストなのはタルコフスキーとかだろけど惑星ソラリスぐらいしか近くでは借りられないし、こういうときにタルコフスキーだとヘヴィー/見るのにそれなりの集中がいるので気構えがいる/見る時を選ぶのかなあ、とか。そういうのでもなく「なんとなく見だした小品系の映画がけっかてきに印象した」みたいなのが欲しかったのだけど。そういうのはやっぱ民放の深夜映画とかがちょうどよいのだろうか。
そういうのだと以前に月曜の夜の深夜映画でやっていた……タイトルをわすれたのでまた調べたら「ラヴェンダーの咲く庭で Ladies in Lavender」というものだった。ああいう感じのぢわっとあとに残るようなのが良いのだけど(てか、しらべるとアレは名作って評価になってるようだが)
あの映画の話をすると逸れそうだからやめといて、花繋がりなところだけ拾うときょうはようやく気になっていた野菜の鉢植えを買った。茄子ときゅうりと紫蘇。茄子の花はぢみにきれいだそうなので
図書館で借りてきた「季節を知らせる花」を読みつつ「リトルフォレスト」を再読したくなる。映画化もされたようだからそのうち見てもよいかもしれない。
「季節を知らせる花」を読んでると花というのはカレンダーのなかったころに季節の変わり目を告げる徴になっていたのだなとあらためておもう。
「昔、日本の季節というのは種をまく春と収穫する秋しかなかったそうです。人々は山に道や山にふきのとうが芽吹いたのを見て冬の終わりをよろこび、こぶしが咲くのをみて田植えに備えました」
そういった記述を見つつふきのとうなんかの山菜や七草をたべるのもそういったよろこびと一緒だったのだろうなあ、とか。逆に不便と表裏になったそういったよろこびがそれほど身近ではない便利な現在だと七草も意味分かんないしそんなによろこばしいものでもないかなあとか(春の魚、秋の魚なんかもごちゃごちゃになってていつでもたべれたりするし)。
鉢植えの野菜はそんなに期待してないのだけど、花がなって果実となる様子に「いつでも食べられる」野菜の季節を感じようとしてるのかもしれない。そういったものはできるだけ感じるように季節のイベントや季節ごとの食べ物をたべるようにしてるけど。居酒屋で出てくる肴的なものとか和菓子とか。
藤棚の季節が思ったより早いようで、明日辺り買い物ついでに最寄りの名所的なところに行ってみようとおもう。花屋ではもう紫陽花を見かけた。
ひまわりは好きなのでちょっと欲しかったけどさすがに季節先取りすぎるしやめておいた。傍にあったバラ科の鉢植えが200円と格安でしばらく考えたけど…またみかけて同じ値だったら連れて帰ろうか。それとも詰め込みすぎだろうかと少し悩む。
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