日々平安

きょうも消化するように一日が過ぎていく。まあ明日は休みだし。いまのところとくに動きもとれないし。ふつーにルーティンをこなしつつ地味に読書とか筋トレとかするぐらいか。


TLにつられて痛めた膝の原因をいちお検索してみて「やはり靭帯を損傷したのかなあ。。」ということでそのへんにのっていた治療法を見る。特に専門的にスポーツするのでもなければ手術する必要はない、ということでそういうものだろうなあとかおもうのだけど、そうするとやはりジョギングとかは無理なのかなあ、とか。こないだいちおサポーターを買ったので、いまの膝の痛みが回復したらまたちょっとジョギングしてみようかとおもうけど。2,3㌔程度軽く。

普段は可動域確保を主な目的としてスクワットしとくぐらいでいいか。



スコット・ペックの「愛と心理療法」を読み進める。

日本だと「平気で嘘をつく人々」のほうが知名度が高いのだろうけどアメリカだとこっちのほうが有名で、地味にロングセラーなベストセラーらしい。

内容としては「平気で嘘をつく人々」(ていうか「嘘にある人たち」)に共通して「心理療法というのはけっきょく信仰・宗教的なところと隣接するのかもしれない」という話。

心理療法が必要となる心の問題の大部分は発達段階の養育に関わっていて、その問題はけっきょくは「愛」の問題になる。親からの愛情。「愛」というときその内容は漠然としていて、人によって千差万別だけど、ペックはとりあえず押し付けの愛、一方的な愛情と区別するために「なにか他人のために努力・我慢してするもの」「我慢とか努力とかをしても苦にならない、あるいはそれ自体は苦であってもそれを甘受できるようなもの・その源泉」とする。「愛でつながっているとき、自他は分かれているのではなく、愛情をそそぐ相手は自分と一心同体なものとおもえるはずなので。自他をつなぐものが愛」という考え。


心の問題を超えるとき、自分の問題となってる障害を冷静に見つめ克服することが必要になるわけだけど、そういった苦しいことをディシプリンするとき、発達段階では親の愛情が支えとなる。それによって独り立ちできるようになった時には「苦しいこと・めんどうなことをまず最初に済ます」という癖がつく(ディシプリン(規律訓練)される)ということ。


発達段階でその愛情がなかったひとたち、あるいは、苦しいことに向き合うエネルギーが現状において足りない人たちをささえるのが心理療法家の仕事のひとつとなる。


その際、治療者は患者(クライエント)の考え方・世界観に踏み込んでいくべきなのだけど、その際しばしばそれぞれの人達が千差万別の世界観・人生哲学を有しているのに気づく。それは彼らそれぞれに固有の宗教とでも言うような。


けっきょく心理療法家が寄り添い、エンパワーしていくのはその部分で、「科学」の形で偽装した精神分析のカテゴライズではないのではないか?とペックは説いてるみたい。


たぶんそれはマインド-心と呼ばれる部分とも繋がるのだろう。


そういった部分の回復がどのようになされるかはけっきょく恩寵が関わってくる、と最終章に踏み込んでいく。




恩寵というとヴェイユなんかも想うけど。まあまたそのうちそういうモードになったら還っていって読むだろう。



「苦しいこと・嫌なことを最初にやらずにとっておく」というのは性格の問題かと思っていたけど。そうでもないのかなあとおもってなるべく嫌なことから済ますように心がける。イギリスのことわざに「午前中にすまない仕事はその日一日かけても済まない」とかあったなあとかおもいつつ。あるいは、「西荻夫婦」にそういう場面があったなあとかおもいつつ (>この人は嫌なことから逃げ続けようとする。そういやってても逃げきれるわけでもないのに。・・子供のようだ)。





blogに大人の恋愛なマンガについてエントリした流れであの人のことを想う。


そういや最近げんきなさそうだねえ、とか。セックスとか恋愛とか興味なくなったとかいってるけど鬱にはセックスが効くらしいよ(冬季鬱も近いし)、とか。まあだからといって自分がってわけでもないのだけど。



今月はデビットカードに1000円ぐらい残ってたので高浜寛の作品を買い足そうかと思ったけど繰り越して来月にまた haruka nakamura のアルバムを買うか、村上龍の小説を買うか、あるいは一ノ関圭のマンガを買うか少し悩む。


さいきんは Fjordne  が気に入ってるのだけど。















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