「かっぱ氏、杉本博司にいまごろ気づく」の巻

村上隆の宝物展は日記したとおりあまりよくなかったのだけど、

そもそもアレを見に行こうと思ったのは高橋コレクションを去年みそびれたことを後悔してたからだった。あとは村上隆的なものを実際見ずにってのもなんだなあということで。それだったら五百羅漢図とか見とけば良いということにはなるのだろうけど、たぶんこちらはさらに見ても「ああ、がんばったんですね(あたしには合わないけど」てなるとおもってたのでせめて趣味として集めたものだったらどうかと思ったのだった(まあ結果はアレだったけど)。


それはともかくとして、高橋コレクション的な物つながりとしてなんとなく杉本博司がアンテナにかかってきてたので美術手帖の同特集を借りて見てみたら良かった。

パリで開かれた個展「今日世界は死んだ もしかしたら昨日かも知れない」をメインに。

同展示は全体として錆びと鈍色の空間の中で杉本の蒐集したものがインスタレーションとして構成され配置されていく。それぞれの小部屋は古生物学者、美術史家、宇宙飛行士、ラブドール、物神崇拝者、物理学者などの部屋とされ、それぞれに「今日、世界は死んだ」から始まるモノローグが付け加えられている。それがエピグラフ的に死んだ世界を回想させる。世界が、地球が終わった後に時間を止めて構成された永遠の小部屋のようなそれらはコーネルや桑原弘明の小部屋を想わせた。

あるいは松浦寿輝「冬の本」的な、錆びた、冬の思い出。


杉本によるとデュシャンの影響をもっとも受けたとのことだけど。そういえばデュシャンについてもちゃんと理解してない(例の便器程度)なのでちゃんと理解しないとなあとか思いつつ、杉本のデュシャン愛ほかについての語りは未だ読んでないのだけどなんだったらこの美術手帖買おうかなあとかおもったり。桑原弘明「スコープ少年の不思議な旅」と似たような感じでそばにあるとなんか綺麗で良さそう。展覧会にはいけなかったけど手元にあるとうれしい、ぐらいの。

そんなことをおもったんだけどいきおいで買ってしまう前に同作家のもうちょっとビビビっとくる作品集とかあるかもだからということでAmazonをチェックし、「苔のむすまで」が日本語処女作ということで借りてみることにした。とりあえず。

映画の方は中村祐子さんのこれが気になってるけど

当然のようにTSUTAYAとかにはない。

神保町いったときにジャニス詣ででもしてみようか。。



それにしてもみんな、というか界隈とかはこういうの以前から知ってたんだろうなあとか思ってちょっと悔しく。。

原美術館で展覧会あったらしいのも見そびれたし、去年の千葉のもいまごろ気づいて歯噛みする思い。。


来歴を見るともともと写真家で、でも既存の写真を、あるいは風景をもとに加工していくという手法はゲルハルト・リヒターを想わせる。リヒターのそれとは出来上がった質感、表現の仕方は違うのだけど。なんか鈍色な様子とか、現在がハッキリと鮮明にではなくぼやけてぶれてるぐらいがちょうどよい感じとか。


まあとりあえず趣味に合いそうなものが増えたのはうれしいことだしいまからでもちょこちょこ見ていこう。(じっさいまだ自分的に「ホンモノ」かどうかもわからないのだし

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