生田緑地で梅見

枯れたすすきに日の照れば誰か来さうな 〔山頭火・山行水行〕




昼飯どきにプロフェッショナル仕事の流儀のガーデンデザイナーのひとの回をみて素敵だなあと思いつつ、またしても一昨日の生田緑地会の様子を日記にしたいなあと思い出してうずうず。いま時間的にも調度良いので朝飯前ならぬ夕飯前に軽く日記にすることにする。



スミザーさんの庭園は植物や山の様子をそのまま庭に取り入れるって感じで、それは借景小庭な感覚をもっとすすめたもののように思えた。


借景の場合はどうしても名勝-絶景みたいなイベント性が先に来てしまうけど、そういうイベント-特殊なものというのは世界には特になくて、、あるいは、全てのものが特殊だったりする。「雑草という草はない」というように。

そういったものは野山にいったときにしか味わえないものかなあと思っていたのだけれど、意外とそういう思想が英国ガーデニングのほうで根付いていたと。「意外と」というのはこういうのはワビサビ的な洗練につながるように思うので。んでもミニマルってことだと外国にも共通するし、むしろカントリーアンティークな英国だとそういうものがあって当り前なのか。

ミニマルとかワビサビな話になるとまたソレてしまうので今回はやめておいて話を戻すと。

「こういうものは野山でしか感じられないのかなあ」というのは一昨日生田緑地でもおもった。てか、長い散歩に誘ってくれて生田緑地の草木環境に気づかせてくれたのは彼女だったのだけれど。毎度のことながら彼女からはそういう自分ひとりでは感じられない視点、感じ方を教えてもらってるように思える。「思える」っていうのはそれがごく自然で、特に教える/マウントするってかんじでもなく、「ちょっとあっちのほう散歩行ってみましょ(行ってみていいかしら?)」「へぇ、、ここはこんなにいろんな木や鳥がいてすごいねえ。整備もしっかりしてるし」、というような。


実際、生田緑地は川崎な公園としてはしっかりしてて、その広さから外国のそれを思わせるし、庭園の植生や動植物なんかもけっこう楽しめるものになってる。あまり期待してないと意外なほど楽しめる。古民家園なんかも地味におもしろいし、太郎美術館もちょこちょこ良い展示をしてる。なにより広いのでごみごみしてないし、入ってすぐのところに芝生なスペースがあるし。生田緑地に行くまでにある古道具屋(着物中心の蔵屋)も気に入ってる。着物や器が安く掘り出し物であるし質もよく、店員さんもかわいい。今回は1000円でウールの着物のアンサンブルをゲットした(明日辺り着よう)。


そういった生田緑地の楽しみにここの植生や動植物、とくに「鳥を楽しむ」ということが加わった。鳥や植物なんかの博物学的知識は未だよくわからないので牧野富太郎「植物記」「花物語」や各種ボタニカルアート、「幻想植物園」なんかを通じて「たのしい」な感覚・知見を拓けていけたらと思ってる。

(幻想植物園はnote経由で、牧野富太郎さんのは「ドミトリーともきんす」経由であらためて「読まなきゃ」になった。巖谷國士さんは初めて知ったし象徴主義な興味/アンゲロプロスやシュルレアリスムなところでリンクするのでちょっと読んでみることに。E.ポーつながりだとポーの詩、「ユリイカ」をあらためて読んで「ドミトリーともきんす」「風立ちぬ」とリンクさせてうんたら書きたい)


生田緑地での今回の発見の一つに「展望台が意外なほどすごい」があった。あの位置から富士山はおろか、房総半島の辺りまで見えるらしい。晴れて条件が良いと。

一昨日はあいにくと曇り気味だったけれど、それでも当初展望台に期待していたぐらいの風景は十二分に見れて満足だった。展望台の欄干に施された意匠もかわいかったし。


というか、今回の目的は梅見で、梅を見に行ったはずだったんだけど梅園はざっと見て早々にお弁当をたのしんでたな。まあたしかにピクニックが目的というか、会って、笑って、散歩するというのが主な目的なところがあるし。


彼女もいっていたけれど彼女といるときはずーっと笑ってる。それは彼女自身が笑ってるのに釣られるかもだけど。とりあえずふたりともずーっと笑ってる。


人のヲクサンということもあるし、特に恋愛感情とかもなく、むしろそれがなくてぼーっと散歩とかして楽しめるというのは良いなあとか。互いに地味な尊敬のようなものもあるのだろうし(少なくとも自分には)。


「笑うことは体に良いんですって。進行を止めるのに」とふとした瞬間に言われて、自分的にもだいたいそういうものかあとはわかっていたので「ああ、そうみたいですねえ」とか答えつつ白血病かなんかかと思ってたのでちょっと意外だった。まあでも強い薬をつかって副作用で毛髪が抜けてるということだからそういえばそうか。


だいぶ散歩をしたので別れる前の駅に渡る信号のあたりで「これ(かつら)とってもいいかしら?けっこう生えてきたのよ」「ああ、けっこう歩いたから暑いですもんねえ。かぶってたら」とか。このへんもなまじ気にしてる素振りをすると重くなるので互いにテケトーに流す。


散歩をしつつ「豊島園にいったことがない」「あそこのメリーゴーランドは歴史的価値があって」「行こう」ということになったので次は豊島園で。あるいはその季節のうちに花見でも。


以前に会った時には、もしかしたらそれが最後になるかもしれないとも思っていたので、今回すこし楽になった、、のかな。自分が。


あるいはそれも彼女の気遣いなのかもだけど。


とりあえず「治らない病気ではなくなってきてる」のだし、病というのは何よりも治す気-自己治癒力次第なのだろう。



もうすぐ春がくる







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