「キンモクセイの香りがする」

もうすぐ大雨が近づいてくるらしく蒸し暑さも少しある夕べ。なんかきょうは疲れがたまってるのでヤル気ゼロでもう寝ようとしてるのだけど、なんとなくな今日の出来事的な日記。


リアルでは水曜に残したタスクにきょうのタスクが重なり、そこに雨がふってくることを恐れつつすごした一日だった。けっきょく雨はふらなかったしさっさと帰れそうでよかったのだけど。最後のほうでバイクのカゴが壊れてしまって「あー・・」てことに。まあ明日辺り修理行くけど。


あとは金木犀の香りを意識した。


ついったーのタイムラインだと「金木犀の香りがする」というのはちょこちょこ見ていたのだけど、自分の生活圏内ではまだ香ってきてなくて、でもきょうはいたるところで金木犀を感じた。

ぼんやりと「ピンポン」での風間のセリフを思う(「金木犀の香りがする」)。自分は体育会系ではなかったので「夏の終わり」をそういう形で感傷することもなかったけど。



夕餉の支度をしつつ米が炊けるのを待っている時間を持て余して次の図書館本の予約を入れた。


直近だとゼロからの文明を考える本が来ていたのでそれに合うぐらいのもの。あるいはその次の週ぐらいにちょうどよいもの。


なんとなく「平気で嘘をつく人たち」的なもの課題の続きを考えてみたく極東ブログで紹介してたスーパーヴィジョンについてのうんたらを借りようとするも通ってる図書館の系列にはなかった。どうも専門書らしくAmazonでも高い。

しかたがないので課題の通り上野「家父長制と資本制」を、「平気で嘘をつく」関連で同著者の「愛と心理療法」を予約した。

「平気で嘘をつく」関連だと少しまえについったーでちょっと気になった新書があったのでなにかハードなものを読む時の副読本として良いかと思い図書館検索してみたがなかった。





まあそのうち読もう。


江古田ちゃんにしてもそうだけど「猛禽」ほかのああいう類型は個人的な人生観というか、人間観察な類型としてつかうぶんには便利だしおもしろいので。ただ、それを当然として権力が発生すると野暮ったくヤビヤビしたものになるけど。



ダラダラの最後に先週の土曜か日曜にとれてたガッチャマンクラウズを見た。


群れの空気をとめるには空気で糾弾された相手がえげつないほど血祭りにあげられて最終的に場が「引く」「さめる」しないと駄目だ、というのはちょっきんのプチ祭りにも共通するなあ、とか。あるいは学生運動なんかでもそうだったのかもしれない。


そういうのは民俗学、あるいは社会学的に見れば社会心理学的な集団心理の対象で、群れとヒステリーとガス抜きみたいな感じになるのかも。いわゆる現代の「祭り」の心理学/社会学。


ただ、そういった群れを観察的に見る視点とは別に、そういった群れの動態に流される / 影響される個人を考える時にはもっと個別な内省の過程が必要なように思う。すくなくとも自分には。


あるいは、それに影響される身近な人を留める時、相談された時になにをどのように / どの程度言っていいのか?というようなこと。


自分はけっこう人の相談に乗ることが多い、というか話してるうちにそういう感じになるのでこういうことを初歩とか基礎な概論として識っておいてもよいかなあとかあらためておもった。


スーパーヴィジョンについてもそもそもスーパーヴィジョンという言葉をしらなかったのだから、それに関わるカウンセリングやコーチング、若輩者 / 若年者の指導(忠告)な場面でどのようなアプローチが適当か、みたいなのは見といても良いのだろう。





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αでもβでもなくΚブロガー「正直に本心を吐露すること自体は悪くない。だがそれをしてよいかよくないか、してよい相手かそうでないか、の違いは厳として存在する」
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