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今日のために生きていた自分がいた、だから私は今日を生きるらしい

今日も、何事もなかったみたいに穏やかな天気で、日差しが暴力的に強いのにあたたかくて、そんな現実がどうしても喉につっかかった何かに邪魔されて飲めないから、新作のフラペチーノを飲んで考えています、この1年のことを。

卒業制作展が終了し、昨日と今日で撤収も終え、本当に全てが終わりました。幕を閉じました、みたいな綺麗な言葉では言いたくもないような。私たちが作業をしていた、元のただの教室に戻った部屋を見て、なんだかこの教室自体が特別にすら見えました。設営をして、それが展示部屋になっていたのって卒業制作に向き合っていた期間と比べたら僅か3週間とかの間だけだったのに、そこで一瞬で時が飛んだみたいに、変な感覚です。でもこれから先は、扉を開けてもゼミのみんながいないんです。一緒に制作に向き合ってくれた友達や、先生たちもいません。当たり前のように制作をしていたあの小さな席も、もう私のものではないのです。そんな時間がこの先流れることはないという、これ以上の寂しさってあるのかなあ。

去年の4月、卒業制作を目の前にして、遂にこの時が来てしまったのかとちょっと嫌な気持ちすらあったとき、思いっきり絶望することがあって、自分の本来のゼミ室にいられなくてずっと友達の横で制作をしていました。初手から、しかも制作と直接関係のないようなところで挫かれることってあるんだなって。目を背けるみたいに制作をしていましたが、1月からずっと卒業制作に対しての基礎研究や調査をしていたので、制作に対して前を向いている自分と、それ以外のところで苦悩を抱えている自分と、2人がずっといたように思います。これは卒業制作が終わるまでずっとでした。なんでか常に制作以外のことで悩まされたり問題が起きたりしていたのでひっくるめて運が悪かったなと思います。

でも私は、信頼できる人を頼りました。自分から教わりに行って、それはそれはしつこく、無知な私を受け入れてくださった方がいました。そういう機会を得られなかったのなら自分で作れば、取りに行けばいいと思っていました。その傲慢さからとんでもない迷惑をおかけしたのに、私の話を聞いていただいた方はみなさん、本当に優しく真摯に私を受けとめてくださいました。

この1年、特に、私が毎日学校へ行って1人で手を動かし続けられたのは周りの大切な方々の支えがあったからだなと強く感じました。何度謝ったり、感謝を述べたりしても尽きることのない、愛でしかない人が私の周りにいてくれることへの幸せを感じながら、その人たちに、私の今までが伝わるといいなと思いながら制作をしていました。ずっと卒業制作に対して自分の感情を表に出すことだけはしないようにしようと思っていて、密かに、1人で向き合う時間に、そういう想いをひっそりと制作に忍ばせていました。誰にも気づかれないように、でも気づかれた方もいて、少し照れました。

心臓がぞわわとする瞬間に何度も出会う、自分の限界を通り越して深く深く遠いどこかへ行きそうになる、大事な人がそばにいてくれることの奇跡とか、もっともっと純粋な感情があること、なにかを維持し続けることの難しさ、あり得ないほどの悔しさ、そしてこの悔しさに理解をくれた人がいたこと、私の唯一の光があったこと。色々なものを感じ、得て、手の中で大事にして、時に自分で壊してしまい、大切な人を傷つけ、どんどん許せないものが膨らんで、また大切な人に救われる、弱い自分と向き合うこと、手を動かし続けること。私のこの1年は、そんな何にも変え難い時間でした。

SNSで、卒制展を特別なものにしない、という言葉を見て、私は明らかに特別なものにしてしまった側の人間なのですが、なんでだろうって考えていました。私は今までずっと、勉強しかしてこなくて、日常的に何かを作るってこと自体が、私の中にはなかった。そんな私が美大に入ってから、1年という私の中ではとても長い時間を一つの制作に対してかけて、自分と、制作それ自体と向き合い続ける、多分作り続けている人たちにとっては普通のことが、私には普通でなかった。「最後だから」ということをなるべく言わないようにしていましたが、それを除いたとしても、今まで私の中になかったものを体験したり生み出したりすることは、特別になってしまうのかなと思いました。悔しかったです、それが普通の人たちの眩しさが、私との圧倒的な差でしかなかったから。これから先、私はそれを普通にしていくんだと思います。でもそれをこの卒業制作という制作の延長でしかないはずの場でできなかったことは、とても悔しいです。

悔しいと思うことはいいことなんだよ、って私の大切な人が言ってくれたので、もう堂々と、私はこの1年間ずっと悔しかったです。それどころか、この4年間多分ずっと悔しかったです。そして、この悔しさをずっと抱えながら、この先も生きていくんだと思います。精一杯、悔しい思いをできてよかったし、それによってあと少しって思えたことも、本当に挫けたことも、それにしか頼れなかったときがあったことも、私の救いでした。多分希望でした。まだすぐに前を向くことはできないかもしれないけれど、この先も、支えてくれる大切な人へ感謝を尽くしながら、また色々なものを得たいです。そのために私は手を動かし続けるのだと思います。

ここまでたくさん悔しさがありましたが、それもひっくるめて、この時間を生きられたことを今は本当に幸せに思います。最初から最後まで手を動かし続けたこと、制作を見届けることができたこと、その中に大切な人たちがいてくれて私はここにいてもいいのかなと思えたこと、その全てが幸せでした。本当にありがとうございました。

特別な日ってこういうことを言うのかもしれないな、日が暮れるのは早いし、フラペチーノは美味しかった。1年を振り返るのには、涙が足りない気もするし、多分私の言葉だけでは全てを追うことができなくて。こんなに言葉を尽くしても、届かないものはあるのだけれど、それでも届けたい想いが、そして届けたい人がいるから、生きているんだろうなって、入り口付近の寒さに耐えながら、そんなことを思いました。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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