えんとつ町のプペルを見て感じた現代の日本人。
初めまして。松本龍生と申します。高校卒業後、敬語の正しい使い方すらも知らなかった自分が、東京に上京することを決意し、現在は広告代理店の営業職に就く21歳です。
記念すべきnote第1弾は、自己紹介をするべきところをあえて、映画を見てのアウトプットをしようと思います。
先日、久しぶりに映画を観ました。
(この映画だけは最近で唯一観たかった、鬼滅ファンの方すみません,
簡単にあらすじを説明すると、煙で覆われた街で煙突の掃除屋をしている少年のルビッチが主人公の物語。ルビッチは、なくなったお父さんが作った絵本に出てくる、煙に覆われた空の向こうにある「星」を見ることを夢みています。そこで謎のゴミ人間「プペル」と出会い、星があることを信じ行動する物語です。(とりあえず、観てほしいです、)
この映画では現代の社会へのメッセージ性が非常に強い映画だと感じました。
主人公のルビッチは、煙の上には星がある、ということを信じて行動し続けますが、その街の住人は、星なんてあるわけない。何を夢見てるんだ。とルビッチを批判し続けます。
夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれるという、現代の日本の社会に紐づくものがあると思いました。
映画を観て、僕はこのようなことを考え始めました。
なぜ人は、知らないものに対してこんなにも批判をしてしまうのか。行動する人を立て直れなくなるまで叩くのはなぜなのか。
結論から言うとみんな、自分が正しいと思い続けたいからだと思います。
誰もが小さいころに、なりたいものがあり、それが実際になれると思っていと思います。ところが、それは大人になるにつれて現実を知り、現実的でないので、あきらめる。というのがほとんどです。
ただ、そこでもあきらめない人は、少数ながらいます。自分が過去にあきらめたことが現実になっている人を見て、あの時あきらめた自分の都合が悪くなる。そういう自分を認めたくない。という気持ちから、批判という手段に発展するのだと思います。
「知らない」と「嫌い」という感情は近い距離にあると感じました。
「誰かみたのかよ」「誰も見てないだろ」「だったらまだ分からないじゃないか」主人公のルビッチの言葉です。
知らないものに対して、すぐに非難するのではなく、中身まで知ることで批判というものは少なくなるのではなかと思いました。
あくまで個人的な見解でしたが、最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
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