終わりから始まる物語
レモンの花が咲いていた。
むせるほどの香りを振りまく、可憐で清らかな白花。
うっすらと赤みを帯びたつぼみ。
レモンは実をつけるまでが難しい。
ひとつ実をつけるのに25枚も葉が必要らしい。
一緒に住み始めた頃、取り引き先の造園屋さんからレモンの木をもらったことがあった。
二人で大事に育てたが上手くいかなかった。
花はつけたが、実をつけることはなく病気になってしまったよね。
そういう話をぽつりぽつりと話しながら、二人で歩いた。
先週、元同居人とお別れ会をした。
ここは小田原の「江之浦測候所」という所で、いつか一度、行ってみたかった場所だ。
天気も過ごしやすく、ゴールデンウィークのさなかにしては人もまばらで丁度良かった。
長い回廊のように続く通路が二つあり、それぞれ冬至と夏至の日には朝日がまっすぐ入ってくるという通路になっている。
「測候所」という名目が面白い。
設立者の杉本博司は「人と自然が調和の中に生きる」と語る。
広大な敷地に配されたアート作品、鑑賞物、そこに古くから在る何か……など、全てがランドスケープデザインとして取り込まれ、豊かな空間を創り出す。
竹林エリアは青青としていて清々しい。
黒いアゲハ蝶がずっとついてきて、何故か離れなかった。
「もし私が別れるの嫌だって言ったらどうするつもりだったの?」
「あなた嫌だなんて、言わないじゃん」
「そうかな。言うかもよ?」
「言わないよ。言わない」
わかりすぎるほどわかりあっていることを、私たちは確認しあっていた。
そんなの確認しなくてもわかっていたのだけれど。
夜は鰻を食べた。
店は早い時間のせいか、お祭りのせいか、私たち以外には奥の座敷に数名のお客さんがいるくらいで、静かに落ち着いて食事ができた。
そういえば私の誕生日はだいたい鰻を食べに行っていたね、だってあなたお誕生日のご馳走何がいいか聞くと絶対鰻っていうじゃない、などと、小さな声で他愛もないことを話してはくすくすと笑っていたら、お茶を足しに来てくれた女将が
「いいわねえ!幸せそうね!」
と彼の肩を小突いた。
照れたように困ったように微笑む様子を、私は目を細めて見ていた。
そうか、そんなふうに見えたのか。
良かった。
翌朝は早川漁港で朝ご飯。
アジフライはフワフワで絶品だし、マグロの海鮮丼もめちゃくちゃ美味しかった。
カマ煮は美味しそうなところをお互い押し付けあって、ああ、最後までこんなふうにいつもの様に、変わらずに、楽しく一緒にご飯を食べる事が出来て良かったなぁ、と思った。
松永記念館にも行ってきた。
ここも新緑が美しかった。
この時期にこれてよかった。
喪失が何故つらいのかというと、愛されることが失われるからだ。
そうであるならば、私も彼も、何も失われてはいない。
私たちは互いを大切に思うことをやめたわけでは無い。
共に暮らした日々は終わるけれど、互いに大切な人であることに変わりは無い。
人と人の繋がりは、形を変えて続いていく。
私たちがたどり着いた結論は、「関係の変化」だった。
終わりから始まる物語もある。
人は皆、どこかにたどり着くためにずっと旅をする旅人だ。
今一つの物語のエンドロールが流れている。
それを静かに、二人で見守る。
お別れ会から一週間が経つ。
まだお互いがお互いを必要とする場面は無くはないが、少しずつ距離をとりつつある。
無理しなくても、意識しなくても、距離がとれるようになったらいいなぁ。
そうやって、私たちの物語は続いていく。
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