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未来には勝てない

ひとり暮らし用のアパートを借りていた。
ずっと。
何時でもここを出て行けるように。
彼と同居を始めてからも、ライフラインをしばらく止めることが出来なかった。
いつ追い出されても良いように。

ガスの開栓は立ち会いが必要だ。
日程を決めてネットで予約する。
電力会社には電話。窓口の人が出る。
すみませんずっと止めてたんですけどまた再開したくて、はいかしこまりました、ではお名前からどうぞ、と使用履歴を確認してくれる。
ああ、ありました、ちょうど三年ほど前にストップされてますね、そうですそのくらいです、と私は答える。

三年。
そうか。
一緒に暮らし始めてから、そのくらいになるのか。

正直いうともう少し先の事だと思っていた。
こんなふうに、急に離れ離れになるなんて思ってなかった。
私はまだ心が追いついていない。

向こうは数日前からいつ私に言おうかと思っていたらしい。
なるほど。
そう言われてみればなんとなくぎこちない様子だった。
忙しさのせいにして、気付かないふりをしていた。
気付きたくなんてなかったから。

会社の先輩から連絡が来た、と彼は話し始めた。
学生の時の女友達を紹介するけどどう?と言われたことを話してくれた。
「会ってみたいと思って」
と彼は言った。
まだ返事はしていない、ちょっと考えさせて欲しいと話している、一週間経つのでそろそろ返事をしようと思う、淡々と説明を受ける。

正直で、優しくて、嘘がない。
何かをごまかしたりするほど器用な人では無い。
私は(ああ、そうか、ここまでか)と思った。

自分はどう頑張っても相手の望むような結婚相手にはなれない。
だからこのまま一緒にいても未来がない。
彼が「結婚して、子どもを育てて、まっとうな人生を送る」ことに価値を第一に置くなら、これはもう仕方がない。
私はどこかで彼の人生から退場しなければならない。

その夜、初めてちゃんと「好きだよ」と言われた。
今まで言わないようにしていた、と。
言ってしまったら離れられなくなってしまうから、と。
「いつか離れなければいけない」
とずっと思っていた。お互い。
でも知ってる。知ってた。
君は私の事がちゃんと好きだし、私も君の事がちゃんと好きだ。

「私と一緒に暮らしてみてどうだった?」「楽しかったよ。感謝しかないよ」「私も。同じだよ」「うん」「うん」「あなたがいなくて俺生きていけるかな」「君がそれを言うなよ」「不安しかないわ」

不安を感じるのは未来に心が進んでいるからだよ。
彼はちゃんともう私から離れているんだな、と思ったら、寂しくなって涙があふれた。

未来には勝てないな。
だってまだ会ってもいない人に、私は負けたんだ。
これから作られていく未来の時間を、私は持っていなかった。
そしてそれを持っている、まだ存在すらしない彼のパートナーを、私は心底羨ましく思った。

いろんな所へ行った時のアルバムを見返して、もう更新されない過去を見つめては途方に暮れている。
涙がどんどんあふれてきてつらい。
こんなに悲しいなんて。


二人で泣きながら引越しの日を決めた。
最後の一週間が始まる。


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