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オタモイ海岸は自殺の名所?廃墟と化したオタモイ遊園地の歴史に迫る!

皆さんこんにちわ!まっきーです。暑い日が続きますが、そんな時は少し涼しくなる話題がいいですよね。

今回は、私が住んでいる北海道札幌市から1時間弱で行ける、自殺の名所とも噂される小樽市にある『オタモイ海岸』に実際に足を運んでみました!

オタモイ海岸とは?

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小樽にある地元では有名な海岸の一つが「オタモイ海岸」です。この「オタモイ」という言葉はアイヌ語でオタ(砂浜)、モイ(入り江)という言葉の組み合わせて作られた名前とのこと。

この場所は自殺の名所にもなっているらしく、JR北海道の元社長、中島尚俊さんが2011年に「オタモイ海岸」の沖合で遺体が発見されたことでも有名なんですね。

また、この場所にはかつて「オタモイ遊園地」というテーマパークが存在していたらしいんですね。一体どんな場所なのか、実際に車を走らせてみてきました!オタモイ海外の歴史を振り返りつつ、オタモイ海岸に迫って行きたいと思います!

オタモイ遊園地

昭和7年にすし屋を経営していた加藤秋太郎という富豪が、知人の紹介で「オタモイ海岸」に目を付けたのが始まりだったと言われています。加藤は小樽に名所を作るべく、オタモイ海岸の開発に乗り出しました。

昭和9年に「オタモイ海岸」に高級料亭の「竜宮閣」がオープンし、昭和10年には「オタモイ遊園地」が完成。客足は伸び大盛況だったオタモイ遊園地でしたが、戦争が始まると客足は途絶え、昭和27年に竜宮閣が火事で全焼したことを受け閉園となりました。

以下の写真の建物が「竜宮閣」です。

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当時から残る写真

小樽市総合博物館所蔵されている写真がいくつかあります。こちらの写真は、裏書から撮影されたのは「昭和九年七月十五日」と分かります。後ろには、竜宮閣がしっかりと映っています。もちろん木造建てだと思うのですが、よくこんな断崖絶壁に建てましたよね。

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こちらは、 竜宮閣の奥に存在していた建物。現在でも、いくつかの建物は、そのままの場所に残っているとのこと。

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これは弁天食堂という建物。大きな食堂ですね。この建物は、1997年に危険家屋として市によって解体撤去され現在は存在しません。

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当時のパンフレットも残っています。

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昭和9年というと西暦で1934年ですから、今から87年前にオープンし、かつて栄えたオタモイ遊園地。その面影を僅かに残しつつ、ひっそりと佇むその姿には、何か感じるものがあります。別に廃墟マニアではありませんが、思いを馳せずにはいられませんでした。

実際に行ってみた

折角なので、車を飛ばして現地へ行ってみました。2021年8月8日の朝10時頃に向かいました。小樽の市街地を抜け、やや狭い道を進んで行く。かなり狭い道を進んだ先に、オタモイ海岸があります。

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少し進むと、寂れた小屋がありました。この建物、かなり怖くて近づいてません(;'∀')夜はかなり怖いと思いますよ…ココ。

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かなり細い道ですが、道路は舗装されていました。細い道をどんどん下へと降りていきます。

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数分進むと、開けた場所に出ました。写真奥には車も数台停まっていますね。

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その場所には、かつてオタモイ遊園地と竜宮閣があった事を示す看板が立っていました。

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断崖絶壁のオタモイ海岸。現在は落石の危険があり、先に進む事は出来ない。こんな場所に遊園地があったなんて、何だか信じられませんね。

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奥に建物が見えたので撮影。よく見ると建物が少し残っています。かつては遠くに見える赤い柵のところまで入れたようですが、現在は落石の危険があるため立ち入り禁止となっていました。

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なかなかの廃墟感ですよね・・・。こういう廃墟って、その歴史から何か感じるものがありますよね。

人気の観光スポットではありませんが、実際に行ってみて、とても良いところだなと感じたと同時に、かつての繁栄の名残りとして残っている建物を見ると、なんだか気持ちが涼しくなる気分でした。

夜に来たら、かなり怖い場所だろうなぁと思ったのですが、さすがに夜に来る気にはなれませんでした。皆さんも危険だから夜には行かないでくださいね。

以上、オタモイ海岸でした!

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