欲求を育てる

「ありたい姿」と「あるべき姿」
似ている表現だけれど、「ありたい姿」を使うようにしている。
元々は、「あるべき姿」で教わった言葉である。
それは、問題構造学で出てきた。
問題の定義とは、「理想(あるべき姿)」と「現状」とのギャップである。とのことでした。

「~すべき」「~であるべき」と言われたり、書かれた文章を受け取ったらどのように感じるのか?

相手の考えや狙い等背景も知らない、把握していない中で、この表現を使うことはとても危険ですね。
そしてやはり「~すべき」や「~であるべき」という「べき論」では、義務感や強制感を感じるのではないでしょうか?

その為にもやはり、相手の欲求を育てて、本人から「~したい」になるように働きかけをするしかないですよね。
それが、管理者や親の役割であるとも思うんですよね。

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