表紙タイトルあり

第2回 それは「レコードクラブ」がきっかけだった

 それが何のレコードを買った時なのか、タイミング的には、キャプテンハーロックのドラマ編LPか、戦国自衛隊のサントラか。
 小学5年生の1979年当時は『戦国自衛隊』にもはまっていて、角川映画の『戦国自衛隊』の公開をきっかけに半村良の原作(角川文庫)を読んだところ、日本史好きになりかけのころでもあったので、戦国時代のパラレルワールド・タイムスリップものといえるこの中編の面白さに一発で引き込まれてしまった(挿絵は永井豪)。
 映画も当然見に行ったわけだが、違う時代に来てしまった自衛隊員の絶望感や厭世観、戦っても戦っても武田軍が繰り出してくる泥沼的な戦場など、原作とはまた違ったテイストで、なんか「大人の映画を見たな」などと感じたものだ。後年、映画『戦国自衛隊』は何度か観ているのだが、最近久しぶりに見てやっと気づいたことがいくつかある。例えば、にしきのあきらと鈴木ヒロミツの自衛隊員2人組が出てくるのだが、にしきのあきらは今回の訓練が終わったら除隊して彼女(岡田奈々)と駆け落ちする計画で、しかし、タイムスリップしてしまったため、隊を逃亡して待ち合わせ場所を探して戦国時代の山の中をさまよう。鈴木ヒロミツは友人としてにしきのあきらの逃亡を助けるのだが、友情ではなく明らかに愛情を感じているという描き方だった。 
 また、千葉真一に反発して隊を離れて最後は射殺されてしまう渡瀬恒彦も、かつて千葉真一をリーダーとしたクーデター計画に参加していたが土壇場で千葉真一がクーデターの実行を思いとどまった過去があって、千葉真一に反発していたという設定があって、こうした原作にはない設定は、最初に見た子どもの頃には分からなかったなと思った次第。
 最近の原作ありの映画は、わりと原作に忠実に描いているように思えるけれども、『戦国自衛隊』のこうした設定変更は、「いかにも映画らしい」という感じがして嫌いではない。   
 『戦国自衛隊』はその後リメイクされているが、こうした政治性や社会性をエンタテインメントに落とし込むようなチャレンジは全くなく、単に自衛隊がサムライと戦うだけの映画になっていた。ちなみに、この1979年版『戦国自衛隊』はのちになぜかフランスで大ヒットした。ということを当時雑誌の海外情報で読んだ記憶がある。    
 そう、それでサントラLPも買ったのだから、振り返ってみるとよほど『戦国自衛隊』が好きだったんだなと我ながら思う。
 このサントラは、それまでの映画サントラによくあったオーケストラ等のテーマ曲プラスBGMで構成する内容ではなく、歌ものだけがラインアップされていた。1978年に映画『サタデーナイトフィーバー』『グリース』がヒットしたが、同時にサントラも全米で大ヒットしている。この頃からさまざまなミュージシャンが提供した曲で構成するサントラが良く作られるようになり、『戦国自衛隊』のサントラもその方向で歌ものでBGMを構成している。
 参加ミュージシャンは、ジョー山中、井上堯之、高橋研、松村とおる(主題歌)らで、ジョー山中「ララバイ・オブ・ユー」、井上堯之「DREAMER」、高橋研「スクリーンに雨が降る」など、今聴いてもどれも名曲ぞろいだ。ちなみに、高橋研は隊員役で映画にも出演しているが、盛岡出身で、当時は岩手ローカルのテレビ番組などにも出たりしていていたのを覚えている。
 その後、名前をあまり聴かなくなったりしたが、しばらくしてアルフィーの大ヒット曲「メリーアン」「星空のディスタンス」以降の作詞者として(高見沢俊彦との共作)再び名前を目にすることが多くなり、特に中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」で、作詞・作曲者としてクレジットされているのを見て、「おー、あの高橋研か!」と嬉しくなったのを覚えている。
 さて、当時、盛岡市内の小学校からそう遠くないところにあったレコード店で、おそらくこの『戦国自衛隊』のサントラLPを買ったところ、1枚のチケットらしきものを貰ったのだった。
「機動戦士ガンダム上映会」 
 まだ、家庭用のビデオも普及しておらず、当然ビデオソフトなども売っていない時代、もう一度見たいテレビ番組は再放送を待つ以外になかったのだが、当時のアニメファンは、制作会社から16ミリのフィルムで見たい番組を借りて、上映会を開催することが全国的に行われていた。そうした上映会が盛岡で開催されるということのようだった。まだ盛岡では未放送で、全国的にはブームになってきているガンダムを何とか見ようということだ。
 ところで、その『レコードクラブ』というレコード店はちょっと変わっていて、店の一角に、ショーケースなどが置いてあるコーナーがあった。そこを覗くと、例えば宇宙戦艦ヤマトの設定資料集(ただコピーを綴じただけなのだが、こういう資料集が流行ったのだ)とか、セル画とかが売っている今でいうアニメショップみたいなスペースだった。まだアニメイトも創業前の時代だから、全国的にもかなり早いと思う。
 特にレコードクラブのこのスペースが先進的だったなと思うのが、みなもと太郎や聖悠紀、大塚英志などが参加していた作画グループの単行本が置いてあったことだ。作画グループは、1962年から2016年まで続いていた漫画同人で、聖悠紀の『超人ロック』の単行本も発行しており、レコードクラブにも当然置いてあった。超人ロックの少年キング連載が1979年の秋ごろだが、少年キングで連載がスタートしたのを見て「あれ、超人ロックが載ってる」ととても驚いた記憶があるので、少年キング連載前にはもう超人ロックを認識していたのだと思う。超人ロックは少年キング連載前にOUTにも掲載され、別冊も発行されているが、そのことは後年になって知ったので、たぶんレコードクラブで超人ロックを知ったのだろう。
 どうして、ここまで超人ロックの印象が強いかといえば、聖悠紀は忍者キャプターや快傑ズバット、闘将ダイモス等々、テレビマガジンなどでのコミカライズ作家として好きで、特にその絵柄の綺麗さや人物のキラキラした感じが少女漫画ぽいと感じていて、名前から「聖悠紀は男なのか女なのか」と、子ども心に疑問を抱えていたりした、好きな漫画家の一人だったのだ。その漫画家のどうもオリジナルの作品(しかも同人誌のよう)らしいということで、超人ロックは最初に目にした時から強く印象に残っていた。ただ、作画グループの単行本は大手出版社のコミックより若干高目だったので、小学生の自分にはなかなか手が出なかったのだが。
 ちなみに、超人ロックは誕生から今年で50年。現在も連載が続いており、もっと論じられていい作品だと思う。
 そう、そんなレコードクラブが主催して、とうとうガンダムが見られることになった。私も小学生ながら、もらったチケットを手に、盛岡市内の教育会館に一人参加したのだった。
(続く)

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