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本当にどうでもいい話をしよう。私の耳は潰れている。よく言われる餃子耳(カリフラワー耳とも言われる)である。

柔道などの組技系格闘技やラグビーなどのコンタクトスポーツに本格的に取り組んだ人の多くは、耳が潰れる。繰り返し圧迫されたり、摩擦を受けることで内出血を起こし、膨らんだまま固まる。中学生、高校生くらいの思春期の頃はとにかく耳が潰れるのが嫌だった。潰れた耳が恥ずかしかった。

耳が腫れるたびに血抜き(注射器で耳の中の血を抜くこと)をしてもらい、なんとか潰れませんようにと祈る毎日。ちなみに腫れている時の耳は驚くほど痛い。少し触れるだけでも痛いのに毎日寝技の乱取りをする。あまりに痛いのでヘッドギアを付けて練習したこともあったが、何の意味も無かった。また、朝練終了後に血を抜いたところで、午後の練習で即出血する。血抜きの効果などまるで無く、しっかりと私の耳は潰れた。

比較的目立たない潰れ方だったが、20代前半くらいまではどうしても餃子耳を受け入れられない自分があり、人に耳のことを聞かれるのも嫌だった。学生時代は強制的に坊主頭だったが、社会人になってからは髪を伸ばして耳を隠していた。

ところが大人になるにつれて、餃子耳は嫌どころか勲章のように感じるようになってきた。どのタイミングで心境の変化があったのかはわからない。おそらく現役時代のように動けないことを自覚してきた頃からだと思う。

「自分は真剣に柔道に取り組んできた人間なんだ」

餃子耳はその証拠だと思えるようになってきた。(趣味レベルの柔道で耳が潰れることはほとんど無い)この耳には、画一化された社会の中で、「人とは違うことをやってきたのだ」という自負、誇りがつまっている。

今となっては、血抜きなどせず、もっとグチャグチャに潰しておけば良かったのにとすら思える。40も半ばになった現在、柔らかかった頃の耳はもう忘れた。このカチコチに固まった耳が妙に愛しい。私にとってはハイブランドのピアスみたいなものだ。

愛すべき餃子耳である。

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