grapevine in a lifetime presents another sky 2023.3 春 ②

2022.3.10のこと。


これまでのこと(記事①)がありつつ、
田中氏がこんな時、関係者の前にどう姿を現すかなんて想像できない(正面から話してくれる気がしない、苦笑)…だったのでしたが、

SNS弊害ともいえるかもだけど、あらかじめちょっと様子が知れていた。
というのもきっとよくなかったのかもしれない。

この日現れた、(わたしたち側への)田中氏の態度としては、違和感あり、でした。

一度やらかしたことへのそれなりの不信感は、ベースに誰もが持つとおもう。
(一度くらいで、と思えるのはきっとまだ先)。

だから、不信感で何でもよくないものに受けとめて見えしまうのかな?ともおもったけど、違和感をもった人が他にも少なからずいて、
客観的な部分(田中氏側の確かなそういう態度)はあったようだった。



田中氏の"謝罪"ということばがたくさんSNSでも使われたけれど、
何もかもに"謝罪"なのかな?という感触も、わたしはもってました。

スタッフさん、関係者に迷惑かけたこと、
メンバーに迷惑かけたこと、
には完全に"謝罪"だとおもう。

あなたたち(の力)が必要ですと頼った人に応えられなかったこと、
商いというのが、不便・不満・不足などの不の解消業として(わたしはこの捉え方を採用してます)、その解消業を提供していた仕事人としては、"謝罪"とおもう。

ただ、頼ったり好いたりして求めた側のわたしたちの気持ちのことやある意味での幻滅感、
(ましてや不貞してご家族をないがしろにしたことについては)、
わたしたち側が"謝罪"を求めなくてもいいことかなと感じた。
「その感情をもつかどうかの責任」はいつだって自分にあるから、です。


だから、
ステージ上で謝罪されるとしたら、
仕事人(バンドマン、ミュージシャン)として、音楽を扱ってる人間として、
(別に謝罪ぢゃなくても)、今回のことに田中氏自身の言葉で面と向かって触れたものが聞けたら、わたしはそれでよかった。

しかし、違和感。
場を"こなしている"感?行程感?


いろいろ清算しにきたはずが、新たなもやもやを抱え、またどよどよするはめになったのだった(苦笑)。



音楽を扱う人。


行程をこなしている感、にもやもや(怒り)する。
ここからは、ただただ私的な、気持ちの話。
矛盾することもたくさん書くかもしれない。


わたしは彼ら(また田中氏)に対して、ファン(熱狂者)とはいえないし、愛好家ともいえない関係性です。
強いていえば、人生の中で その音楽の在り方・扱われ方に助けられてきた関係。

このもやもやはたぶん、
仕事人として人に誠意のない態度、としてだけ受けとれたら、軽かった。

だけど、田中氏が扱っているのは音楽。
メロディに触発されて歌詞を書く人ぢゃないですか。
歌詞は「人間の言葉」で、メロディは時々、「人間の気持ち」を表現するぢゃないですか。
人の間でやりとりするもの。

こと音楽になると、そこには「言葉」がある。
言葉をどう扱うかとか、どう歌うかとか、そのあたりの人間性が影響大に感じられる。


目の前の人に応じる在り方も、まま「音楽」の正体でもあったりしませんか?


わたしの中に怒り(悲しみ)があったのは、
「音楽を扱う人は、人や人の心を粗雑に扱わない」とそう信じていたから。
そして自分はそうである(音楽にひかれるということは、人や人の心を粗雑にしないこと)と、おもっているからだ。
(だから、ご家族をないがしろにしたことには、無関係でも怒りがあった)。
(物事は1人では起こらないので、不貞事件は田中氏も半分非があると、わたしはおもっている)。


18年を彼らの近くで過ごして、田中氏は歌やメロディを丁寧に扱う人だということも、確かにたくさん体感したから、そんな信じ方ができた。
人の言葉や気持ちがどうでもいい人が、音楽に携わることも少ない気がする。

信じたことや、
音楽を扱うということはそうであれと 他者にも求めていがちなことは、
怒りにまでなったことで、わたしの固くなでありすぎる部分なんだともおもいました。
(今回はぢめて気づいた……)。
(信じることも、信じる側の責任だしね)。

だけど、わたしにとっては、
商いだって 人と人が信頼しあっていること、
個人的には、彼らや彼らの音楽は、触れている間は 信頼して心をひらいていられる稀有な場所だったんです。


そういうものを扱っている人が、
(今回のような場面で)目の前の人に対して、心がともなえなかった。

謝罪だけは心ともなえなかったのかもしれないです。
25年~続けたり、50才近くのマインド、体調、そうなることもあるかも。
だけど田中氏は直近、時折、こなして歌っている時も感じられたりする。
(18年越しの直感は信じたい)。



そんな人の歌を、
安心して心ひらいて聴きたいと、
わたしは今はちょっとおもえない……。


もしもう人の機微を歌わないのなら、目の前の人に心を向けなくても いいかもしれないけど。。



(つづく?)


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