見出し画像

『私たちは日常的に投資活動をしている』今に求められる金融教育とは

日本マーケットの流動性が落ちている。要は投資活動が活発でないということだ。政府は「貯蓄から投資へ」と言って国民の金融投資を促すが、これといって目立った成果は上げていない。NISAとかiDeCoとか少額かつ非課税をアピールして表面的に投資を促しても何の根本的な解決にならないと思うのは私だけだろうか。日本マーケットの話をした時に、潜在投資家層ばかりが流動性の低さの要因として見られることにも違和感を覚える。そもそも日本は投資先として今後の成長が見込める魅力的な市場なのか?いや、そんなことはない。合理的な投資家であれば海外市場もしくは暗号資産市場を今頃主戦場にしているはずだ。

特に日本人が投資に抵抗を覚えるのはなぜなのだろうか。国民への金融教育の必要性が叫ばれているが、この「金融教育」という言葉も定義が曖昧で釈然としない。「日本人は金融リテラシーが低い」などとメディアでよく目にするが、こんなことを公然と言う人は自分の思考をまずは改めるべきである。株式や債券、投資信託など金融に関する知識不足は投資への抵抗を生む一因ではあろうが、知識なんか無くとも投資はできる。それは2017年のビットコインの高騰を振り返れば明らかだろう。自分の身の回りやSNS上の人が揃って「儲かりまっせ」と盛り上がっていれば、多くの人がよくわからずともお金を投じる時代なのだ。重要なのは知識ではない。

では、今に求められている金融教育とは一体何なのだろうか。それは「投資」に対する認識を改めることであると私は考える。一般に「投資」と言うと金融すなわちお金を思い浮かべるだろう。日本人の多くは、お金を投じてお金を得る、それこそが”投資”であると思い込み、“投資”をお金の文脈でしか捉えることができない。しかし、これこそが誤りだ。投じるものも、その対価として得られるものもお金である必要はない。その意味では、私たちは何気ない日常生活の中で様々な投資活動をしているのである。

その分かりやすい例が、ボーナスが出た時の自分へのご褒美だ。多くのサラリーマンが不確定な将来の活力のために、これまで頑張って得たお金を何か美味しい食事や高価なものに投じる。また、著名人を中心に最近SNSでよく見かける「フォロー&リツイートしてくれたら○名に××円あげます、△△します」の発言も、人の信用を得て自分のこれからに活かすために、お金ないし時間を投じる立派な投資活動の一種と言える。何もボラティリティが高くてリスク変動する投資対象は株式やビットコインだけではない。人によってはそれが最愛の恋人だったりするのだ。

このように述べると、恋人から「私に会う時もリスク&リターンなんて考えているの」と怪訝な表情をされそうだが、その時は自分の投資スタイルに合わせて素直に想いを伝えたら良い。「感情のボラティリティは激しいけど、君ほど一緒にいて心が踊る人はいないよ」と言うも良し、「穏やかな君といるとまるで海の静けさに包まれたように何だか落ち着くことができるんだ」と言うも良し。投資銘柄を選ぶのは人ぞれぞれ自由なのだから。と冗談はさておき、「投資」の認識を広げて日常からそれを意識するくらいでなければ、ヒト・モノ・カネいずれにおいても日本マーケットの流動性は高まるはずがない。

#投資 #金融教育 #ビットコイン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?