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新たな思いをもって「1日1食断食」@浜松・龍雲寺 (その2)

読経の楽しみ

6回目になってちょっと年季が入ってきた感じがいい

毎朝6時半ごろから約30分間読経の時間があります。
読まれるお経は宗派によって違うのだと思いますが、ここは臨済宗・妙心寺派ということで:
・生活信条
・信心のことば
・般若心経
・大悲咒(だいひしゅ)・小悲咒(しょうひしゅ)
・四弘誓願文(しぐせいがんもん) 
を読みます。

般若心経のようにポピュラーで意味の分かるものもあれば、大悲咒(だいひしゅ)・小悲咒(しょうひしゅ)は、そもそも「日本語訳になっていない」おらず、私としてはただ声を発しているだけというのもあります。
それでも、朝一番に大きな声でこれらを読むということが「ルーティンのはじめの一歩」になり、スイッチが入ります。家にいる時は、目が覚めてまずはテレビをつけたり、スマホを触ってみたりから始まる1日が、別の形でスタートできるのも、ここに来る魅力の一つです。
四弘誓願文は、20年くらい前に初めて坐禅会に参加した時にとても感動した記憶があり、これを読むたびに背筋が伸びます。
臨済宗のお経や白隠禅師の教えなどに関してのサイトがあったので、リンクしておきます)

今朝の法話「だれもが仏の心を持っている」

「信心のことば」には、
『衆生は本来仏なりと信じて、拝んでいきましょう。』
という言葉で出てきます。
ご住職は、「どこかに偉い人がいて、それを拝むのではなく、自分の中にある仏の心、優しい心を日々呼び覚ますために、自分に声をかけるようにして拝むことが大切だ」と仰られていました。
よく言われることですが、人間はおぎゃあと生まれてきた時は誰もが仏のような澄んだ美しい心を持っているのに、それが年月を重ねるにしたがって曇っていってしまう。変なプライドや固執・執着によって頑なになっているのです。
でも、「それは優しい心を失くしたわけじゃない」とご住職は仰います。
霧がかかって見えなくなったり、頑なに固まってしまっているだけのことだと。だからこそ、毎日自分に声をかけて、溶かしたりほぐしたりするようにお経を読むのですと。
自信を持ちましょうとも仰ってくださいました。むやみに自分を卑下することもなく、自分を信じることも大切なのですと。

佐鳴湖1周6キロのウォーキングも気持ちのいいものです

自由時間をどう使う?

読経・法話が楽しい・ためになるとはいえ、1日中それに時間を費やしているわけではありません。そんなことはできません。(僕は僧侶ではないし、宗教志向でもないですから。これはあくまで心と身体を調えるためのアクションです。)
心身を調えるということは目的ではなく、自分のやるべきこと・やろうと考えていることを少しずつでも実現に近づけるための必要なステップだと思っています。
(今考えていることを、明日記したいと思います。)





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