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[エッセイ]金木犀
マスク越し、無意識にどこかで嗅いだことのある匂いがした。
「すごい、周りにたくさん金木犀があるね。
だからこんな良い匂いがするんだ」
一緒に来ていたおばあちゃんが言う。
えっ……
トイレの芳香剤の匂いじゃなかったの!!!?
これが私の一番の感想だった。
キンモクセイ、金木犀……
歌詞としてもよく聞くし、香水としても人気の香り。
でも実際、私は金木犀を嗅いだことがなかった。
いや、恐らくあるとは思うけど、気づいてなかった。
きっと、これから秋の匂いとして一つの楽しみになるんだろうな、と思っていたから、嗅いでみて少しがっかりした。
断言しておくと、がっかりしたのは決して金木犀のせいではない。
むしろ、これがあまりにも良い匂いだから、芳香剤やら香水やらあらゆるものに使われていて、既に慣れていた鼻は感動しなかったのだと思う。
何事も、「少し」が適当な量。
「少し」じゃ足りないよ、もっと欲しいよ。
そう思ってしまう。
でも、そのたまにしかできない特別感、それが魅力のスパイスになっている。
私の部屋の窓から、いつも富士山が見える。
だけど、いちいち凄いだなんて思わない。
いつの間にか、平凡な景色になっている。
「少し」と「少し」がどんどん積み重なって「沢山」という山ができると、どこか日常に溶けこんで、なんでもなくなってしまう。
そうならないように、「少し」の楽しみをとっておくのも大切かもしれない。
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