見出し画像

2022年1月15日

「これ言ったら驚くだろうな」
「これは怒られる」
「これ教えてあげよう」
「連絡しないと」
思ったと同時に
「ああ、もういないんだった」
現実に戻る。

受信トレイにあるメールは2022年1月15日0:34で止まってる。


/


1月16日、午前0時過ぎ
何度メールを送っても宛先不明で返ってくる。
何かあったのか。
不穏な空気が自分の周り一帯を覆ったが、いつもの考えすぎは良くない。
なんてことはない、通信障害か何かだろうとその日は寝た。

起きたら知らない番号から不在着信が2件入っていた。
かけ直さずにいたらメッセージが届く。
「○○の友人の○○です。彼から封筒を預かっており、『伝えて欲しいことがある』と頼まれています。お返事をいただきたいです」
左胸が激しく内から私を叩いてきた。


━━━━━━━━━━━━


冬の荒れた日本海が大好きだったAちゃんは、夏生まれのくせに吹雪く季節が大好きだったAちゃんは、俺は風になると言っていたAちゃんは、天気予報のアプリを日に何度も開くAちゃんは、穏やかに晴れる日を選んだ。
その日も、その次の日も、空は春の色さえ乗せて優しい日差しを届けていた。
きっと後のことを考えてその日を選んだんだ。
そんなときにでも自分以外の人のことを考える人だということを、私は十二分に知っている。

自分で考え抜いた末のことだ。
これでよかったんだ。
何度も何度も言い聞かせるが、まだ綺麗に飲み込めてはいない。飲み込もうとするたび、喉の奥が痛い。

私と5日間だけ同い年になる、1つ上の50歳だった。



/



5歳で母を亡くし、アルコール依存症の父を11歳で亡くした私は、学校もロクに行かず中学を卒業してすぐに働きだし一人暮らしを始めた。そしていまに至る。

人としての教育をされた記憶がなく本能と感情だけで生きてきた私に、「お前は野良猫とちゃう」と言い、人を信じるとは、人を思いやるとは、素直とは、誠実さとは、強さとは、美しさとは、生きる意味とは、を言葉と、その背中で見せて教えてくれた。

出会ったのは私が働いていた場末の小さな飲み屋さんで、通常ならば来ない場所だったらしいけど、たまたまその日は友達に連れられて来たと言っていた。
「なんでここに来たん?」と訊かれた私は、「チャリで」と答えた。「いや、なんでここで働いてるの?」再度訊かれた。真面目か。
仕事で緊張することはあまりないのだけど、そのときなぜか緊張していた私は、ぶっきらぼうな返答しかしなかった。
自ら名刺を渡さない私に「愛想ないな、名刺は?」と名刺を催促した。
翌日、メッセージに「人見知りさん、昨日はありがとう。同年代より」と入っていた。
「人見知りじゃない」と無愛想に返事をした。
その態度がどうも気になったのか、可愛がってもらうことになる。

経験したことのない、見たことのない、知らないことを知らなかった世界を、景色を、たくさん見せてもらった、教えてもらった。
頑張って背伸びをしてもド緊張するような、自分は場違いなのではと感じるような場所へも「怖がるな」と連れて行かれた。
お昼ごはんを250km先まで食べに行くと朝唐突に言い出す人。

物の見方や捉え方、考え方、その幹を根っこから引っこ抜かれ、新しい土壌に植え替えられた。
100円拾ってラッキーと喜ぶ私はこっぴどく叱られる。「物乞いみたいなことをするな」と。
一つひとつの言動に逐一赤ペンを入れられ、拒絶反応か防衛本能か、頭痛や吐き気すらした。
なにを言っているのか全く理解ができず。
真逆から、左斜めだいぶ下から物を見ているので無理もない。
礼儀作法や言葉の選び方、表現の仕方、ことごとく指摘、訂正させられた。

「相手の気持ちを考えろ」
「自分優先をやめて相手優先で考えろ」
「してもらって当然の態度を改めろ」
「生きる為に生きたらあかん」
「時間を消費するだけの人生はあかん」
「今のままで幸せとかいう思い込みを捨てろ」
「いつでも堂々と胸を張れる生き方をしろ」

「俺はお前の親ちゃうぞ」本気で呆れ怒りながらも、噛みつき突き離し逃げ回る私を諦めず、ときには何時間も膝を突き合わせ、真摯に真っ直ぐに向き合ってくれた。

よほど暇なんか、と思った。
本人にも言った。

初めてだった。
こんな人間に会うのは。
人を信じていない私には、私を信じてくれる人などいなかった。
それなのに
なんのつもりか
私を信じてくれた。
理解してくれた。
理解し、信じ、賭けてくれた。
人は、人で変われると知った。

「なぜそこまでしてくれるのか」
何度も訊いたことがある。
「使命やから」
いつもそれしか言わなかった。

信頼できる人間が、理解者がいることが、こんなにも心の安定に繋がるのかと、
なにも怖くなくなったし、なにも欲しくなくなった。
「偉いね」「頑張ったね」とただ褒めてもらえるだけで喜びを得れた。
自分の一側面は10歳ぐらいで止まっていて、そこを慰撫してくれるほんとに親のような存在になっていた。

今から思えば最初から「こうなれば、こうする」と計算された行動だった。

なにかあればすぐに「こうしたらいい、ああしたらいい」と具体策を提案してくれた。

4年前に車の免許を取ったのも「見える景色が広がるから」と勧められたからで、その勧めがなければ車の免許など取っていない。免許を取ってから倒れるまで飲んでいたお酒も家では一切飲まなくなった。

「腹立つことがあった」と話を聞かせたら腹を立てている私が引くくらい腹を立てていた。酔ってコケて怪我をしたと言ったら自分の体が傷ついたくらいに怒っていた。「悲しいことがあった」と話を聞かせたら私より沈んでいた。「嬉しことがあった」と話を聞かせたら私よりご機嫌になっていた。

食事で服を汚したら自分の服が汚れたかのようにイライラしていた。百貨店に行き着替えさせられた。

「熱がある」と言ったら車を20分走らせ解熱剤とOS1を持ってくる。

「これ美味しかったから飲んでみて」とジュース1本をわざわざ夜中に届けに来る。

旅に出ると言ったらその前日にうちの駐車場まで来てボンネットに手をあてていた。「頼んだよ」と言わんばかりに。

家の前で分かれて帰るとき、よたよた階段を上がる私の後ろ姿を車から降りて心配げな顔で見ていた。

あげた靴下を何年も大切に履いていた。

小さいころの記憶を親身になって聞いてくれた。「辛かったね」「賢かったね」「淋しかったね」と。

以前の私は、淋しさを怒りに変換して表現してしまう人間だった。
いまは素直に「淋しい」と言える。
「楽しい」と言える。
「嬉しい」と言える。
「ありがとう」も「ごめんなさい」も心から素直に言える。
それすらできない人間だった。
強がったり照れたりするのは無意味だと教えてもらった。

「お前は本来は素直で優しい子や」と言ってくれた。

人が信じられない、人嫌いの私に、「人も悪くないのかも」と思わせてくれた。

「心の綺麗な人間の役に立てるように生きてね」といつも言っていた。

うちの団地に向かう一方通行の道。「この道、千回は通ってるな」と苦笑いしていた。
出会った当初は雨の日が多かった。フロントガラスに落ちては流れる雨粒を見ながら、空が明るくなるまで説教された日は幾度となくある。

出会って3ヶ月の頃。まだ寒い3月初め。深夜喧嘩になり、前髪から雫が滴り落ちるぐらいには降っていた雨のなか、河川敷の公園で震えながら小一時間の押し問答。の末、家から持ってきていた買ってもらった新品同様の服や靴や鞄を川に全部捨てさせられた。総額軽く新車の軽自動車が買える金額である。その公園を橋の上から見ながら毎日通勤している。

中学生のようにペットボトル片手に喋った夜中の児童公園、仮免のとき車庫入れの練習をしたコインパーキング、のんびり歩いた河川敷の遊歩道、二階の窓際に座った商店街の喫茶店、二人で見つけた美味しいパン屋さん、銀行、ドラッグストア、ラーメン屋さん、ショッピングモール、ファミレス、コンビニ、郵便局、どこを見てもいつか見たあの日の景色と重なる。

生活圏内くまなく足跡がある。走行軌跡がない道を探す方が難しい。

家まで送ってもらうとき、毎回違う道の路肩に車を停めて煙草を数本吸っていた。

どの道を通っても、どこを見ても、私が「独りではない」と思えるように、そう計画しての行動だったのかと思えてくる。

「今まで行った場所を巡るだけで一年退屈せえへんやろ」と言っていた。どういう意味かと思っていた。新しい場所は増えないような口ぶりに。

年末から意味もなく「ありがとうね」を繰り返し言っていた。

ここ2年はまともに会えてなかったけど、最後に一緒に食べたのは、「ここのカレーが一番好き」と言って通ったうちの近所のカレー屋さんのカツカレー。

今まで見たことのない淋しげな顔で私を見ていた。何かが動くような気配がして知らないフリをした。笑って誤魔化した。

「約束は何があっても守ること」
そう厳しく何度も言った本人は、小さな約束であっても必ず守ってくれた。

また食べにこようと約束していたら違う今日があったのかな。


-


「お月様、きれい」と言ったら真っ直ぐ前を向いたまま、「満月やな」と言った。運転席からは見えないはずなのに。
ああ、この人は普段から月を、夜の空を見上げる人なんだな、と思った。同じなんだな、と思った。

あの日の夜、月齢11.4のお月様は、その目にどんな風に映ってたのかな。


-


時折、私には見えた。心のなかにいる、膝を抱えて俯く少年の姿が。その姿が、遠い昔の自分と似ていた。







また会おう、必ず。
そう約束したから。







四十九日
2022.03.04