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バラマキ岸田と日銀の大罪 藤巻健史

マーケットに切られた英国よりずっと深刻/文・藤巻健史(経済評論家・元参議院議員)

岸田首相と後藤経済再生担当相 ©時事通信社

「バラマキ」に呆れ果てた

「公共投資の最大の危険性は、多くの政治家が票の獲得のために公共支出を増やそうとすることです。納税者のポケットから、どれほど多額のお金を持ち出せるかで政治家の倫理を測ってはいけません(公共投資は納税者のお金で行うのですから)」(“Donʼt Undo My Work”「Newsweek」1992.4.27)

これは英国のマーガレット・サッチャーが首相を辞めた後の1992年に「ニューズウィーク」誌へ寄稿した論文の一節ですが、今の日本への苦言に聞こえます。

10月28日、岸田内閣は臨時閣議を開き、財政支出の総額39兆円もの「総合経済対策」を決定。岸田文雄首相は「今回の対策は『物価高克服・経済再生実現のための総合経済対策』だ。国民の暮らし、雇用、事業を守るとともに、未来に向けて経済を強くしていく」と会見で語りましたが、これでもかとばかりに並べられた「バラマキ」施策をみて、私は呆れ果てました。

個々の施策の評価の前に、まず申し上げておきたいのは、「経済対策」と称して政府が物価高(インフレ)対策の前面に出ていることが、じつは異常なことだという点です。

ご存じの通り、世界は今、どの国もインフレに苦しんでいますが、これはコロナ禍で苦境に陥った国民を救うため、大規模な財政出動を行ったからです。その財源の大半は、中央銀行が通貨を刷って国債を引き受ける「財政ファイナンス」で賄われました。つまり、いまのインフレは、お金の量が爆発的に増えたために価値が落ちて、逆にモノの値段が上がる「通貨の刷りすぎインフレ」なのです。だから各国の中央銀行は金利を上げることで物価を抑制し、かつ市場にあふれたお金を回収しようとしています。

ところが、唯一、中央銀行がダンマリを決め込む一方で、財政が前面に出て物価対策をするという異常な国があります。それが日本です。

日銀法第二条に〈日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする〉と定められている通り、物価対策は日銀が前面に立つのが本来の姿です。財政で物価対策をしようとしている現在の状況は、正常とは言い難いものであることを、国民は認識しなければなりません。

藤巻氏

バラまくお金は私たちの負担

岸田政権が巨額の対策を打ち出した背景に、内閣支持率の急速な低下があることは容易に想像がつきます。10月には27.4%(時事通信調べ)と「危険水域」の20%台に突入という調査結果も出ました。そこで浮上したのが「総合経済対策」という「バラマキ」なのです。

最も重要なことは、バラまいたお金を最後に払うのは、私たちだということです。サッチャー風にいうと、私たちのポケットに政治家たちが手を突っ込み、つかんだお金をバラまいているのです。財源の大半は赤字国債ですが、いずれ消費税の増税で賄われることになるでしょう。つまり他の誰かではなく、私たちが負担することになるのです。

「金持ちから取れ」という人がいるかもしれませんが、日本に大金持ちは、ほとんどいません。私が参議院議員だった2015年に国会で質問したところ、所得税の限界税率33%(課税所得が900万円超〜1800万円以下)の層は約50万人で全体の1%。40%超(1800万円超〜)は30万人で0.6%程度だと、財務省の官僚が答弁しています。そうした層への税率を1%上げたところで、500億、400億円ほどの増収にしかならない。となれば、税率1%あたり2兆円の税収がある消費税だのみになるのではないでしょうか。

一橋大学長や政府税調会長を歴任し、2018年にお亡くなりになった、石弘光先生のお言葉を思い出します。

「日本の政治家は、歳出をカットすると選挙には立ち向かえないけど、ドイツではできる。くだらない歳出は財政赤字が増えてインフレになると有権者が思うから。外国に行って調査するとその意識がすごく違うと思うね。自分の税金が何に使われているか非常に気にするから」

補助金は公平なのか

では、最終的に私たちが負担するという点を念頭において、個々の施策を見ていきましょう。柱となっているのは、前年より2、3割も値上がりし、今後も一層の上昇が予想される電気・ガス料金の補助です。標準的な家庭で1ヶ月の電気料金の約2割にあたる2800円程度、都市ガスは月900円程度を「支援」するそうです。

この施策の問題は、価格は需給関係で決まるという資本主義の原則をねじ曲げている点です。電気代やガス代が上がれば、節約して使用量を減らそうとするでしょう。しかし政府が補助金を出してしまうと、節約するインセンティブ(動機)が薄まってしまう。この夏、全国で7年ぶりに節電要請が出たのは記憶に新しいところ。電力の逼迫は冬が本番という見方もあるだけに、どのような影響をもたらすのか懸念されます。

公平性の問題もあります。一律に補助金を出すことで、比較的、余裕のある家庭まで税金で支援することになるからです。電気・ガスより、この問題がはっきり出ているのが、来春までの延長が決まったガソリンなどの小売価格を抑える燃油補助金です。本来、ガソリン価格の上昇は、ガソリンの消費者が負担するのが筋ではないでしょうか。

それに価格が上がっているのはガソリンだけではないのに、なぜ補助金が出るのか。これも公平性の観点から疑問です。こう言うと「山間部では車がないと生きていけない」という反論が出ますが、世の中には車を持てない人たちもいるし、都市部だから車は不要でも所得水準が低い人もいる。こうした層も、消費税という形で運転する人に補助金を払うことになるのです。

加えて、いつまで補助金を出し続けるのかという問題もあります。燃油補助金は世界的な原油価格の高騰を受けて今年の1月から始まっており、当初は3月に終了予定でしたが、延長が繰り返されてきました。補助額も徐々に引き上げられており、総額は3兆円を突破している計算です。今後とも円安が進めば、さらに膨れあがる可能性があります。

ガソリン代や電気・ガス料金の上昇をもたらしている資源高は、ウクライナ情勢の影響とされますが、先ほど述べたように世界的なインフレの原因は通貨の刷りすぎなので、ロシアが撤退したからといって収束するとは限らない。永遠に補助金を出し続ける訳にはいきませんが、いったん出してしまえば止めたときの反動も大きい。「進むも地獄、退くも地獄」という状況なのです。

生きていくのに欠かせない電気やガス、食品の価格が上がったことによるダメージは、生活に余裕のある層より、困窮している層のほうが大きいのは間違いありません。国民の財産と命を守ることは国の最大の責務ですから、本当に生活が苦しい人に対するセーフティー・ネットの整備は絶対に必要なことです。しかし、それは経済対策ではなく、社会福祉の領域ではないでしょうか。

効果のない少子化対策

また、総合経済対策には、公明党の肝いりで少子化対策までねじ込まれています。これまでも出産一時金として子ども1人につき原則42万円が支払われていますが、それを47万円に増額したうえ、妊娠した女性に、ベビー用品や育児サービスなどに使えるクーポン10万円分を配布する「出産準備金」が創設されるというのです。

これもおかしな話で、一時的な補助があるからといって、出産しようと考える人が、どれほどいるでしょうか。それに繰り返しになりますが、原資は税金で賄うわけだから、子どもを産まない人も負担することになります。同胞ですから、皆、それなりの援助は惜しまないと思いますが、どこまで他の家庭の子どもの費用を負担するのか。これは非常に難しい問題です。

そもそも私は少子化対策を国がやることには懐疑的です。ノーベル賞を受賞した米シカゴ大学のゲーリー・ベッカーは、国が発展していくと、教育費など、子どもの「質」に関する費用が増加するので出生率が下がると唱えています。また社会保障が充実していくと、子供に将来をゆだねる必要がなくなるため、少子化が進むとも言われます。これらが少子化の正体ではないでしょうか。それなのに国が「産めよ、増やせよ」と音頭をとるのは、「富国強兵」という時代錯誤の思想で、ナンセンスです。

私が参議院議員のとき、国会で少子化対策に投じている費用を質問したところ、答えは「GDPの1パーセント」、つまり毎年、約5兆円でした。それだけ費やして効果があったかといえば、答えは皆さんもご存じでしょう。

イギリスでは内閣が退陣

辞任したトラス前英首相 ©時事通信社

最近、日本と同じようなことを試みた結果、マーケットから痛烈な一撃を喰らって大クラッシュしたケースがあります。ご存じ英国のリズ・トラス政権です。トラス前首相は政権発足わずか50日で辞任に追い込まれましたが、その原因となったのがまさにバラマキ政策でした。

当初はイギリスも、他の国々と同じく中央銀行BOEが金利引き上げを含めた、金融引き締めを進めていました。ところがトラス氏は9月に首相の座につくなり、5年で450億ポンド(約7兆6000億円)という大幅な減税計画に加えて、高騰する光熱費の支援策を含む大規模な財政出動をブチ上げたのです。

ところが、その財源を国債に頼るとしたため、マーケットはこれに「NO」を突き付けました。財政悪化の懸念から、ポンドや株式、国債が同時に下落するなど大混乱に陥った。トラス前首相は盟友の財務相を解任、バラマキ策の大半を撤回しましたが、支持率は7%にまで急落。政権を維持できなくなったのです。

「政治が変えられなければ、マーケットが暴力的に変える」

これは私の持論ですが、まさにそれが今回の英国で起きたことの本質です。お気づきの通り、トラス氏が辞任に追い込まれた政策を、さらに大きな規模でやろうとしているのが日本なのです。恐らく今の日本は世界の国々にとって、有毒ガスの発生を真っ先に知らせる「炭鉱のカナリア」のような存在なのでしょう。トラス前首相も、対GDP比で260%と先進国の中でもダントツに大きな借金を抱える日本(=カナリア)が未だに破綻してないのだから、イギリスも大丈夫だろう、と思い込んだのかもしれません。ちなみに英国の財政赤字は対GDP比で99.6%と日本の半分以下です。

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