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ANAコロナ戦記 片野坂真哉

航空機売却の交渉は熾烈を極めた。/文・片野坂真哉(ANAホールディングス社長)

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片野坂氏

「出向先で良い経験が出来た」

先日、鹿児島銀行で講演をさせていただいたのですが、会長、頭取と本店の新社屋の最上階ラウンジで焼酎での懇親の場を設けていただき、ANAグループから出向中のキャビンアテンダント(CA)と営業職2名も同席させていただく機会がありました。いきいきと働いているようで、受け入れていただいた有難さを感じると同時にホッとしました。

このコロナ禍でCAを含めANAの社員が自治体や異業種の会社で働くことになり、テレビでも大きく取り上げられたので、覚えておられる方も多いと思います。

佐賀県に出向した社員たちからは、「知事の誕生日にお祝いビデオを送りたいので、社長も最後に何か言ってください」と連絡がありました。別の会社に行った社員から、「出向先で良い経験が出来たので、戻ってから活かしたい」と前向きな声も聞こえてきました。

出向先からは、「新しい取り組みを提案してくれた」といううれしいお知らせも聞きましたし、ある会社のトップからは、「今後も営業で使いたいから兼務にできませんか」と半ばヘッドハンティングのような電話をいただきました。さすがにANAにとっても大事な人材ですので、「それは困ります。お返しください」と丁重にお断りしましたが(笑)。

最初は、会社から社員を送り出すことに可哀想だという気持ちもありました。彼らは航空業界を夢見てANAに入社したわけですから、急な出向に不満を持つ人も多かったはずです。しかし、どんな機会も受け止め方次第です。出向者には、必ず戻って来てもらうから、それまでに何か学んで帰ってきてほしいと願っています。

私は2004年から5年間、人事部長を経験しました。人事の難しさを痛感したのは、異動の内示のたびに、喜ぶ人がいる一方で、必ずがっかりする人がいるという事です。人事部長の立場だと、この人は喜んでいるだろうなとか、あの人はがっかりだろうなと想像がつくのです。私は、傘の両端に雨が流れていくことにたとえて「アンブレラ」と呼んでいました。しかし会社全体のためには、アンブレラができるのもやむを得ません。

今回出向している社員は、累計で約300社、1600名になりました。出向前研修で、私は「あなたの地で行きなさい」「上司と常にコンタクトをとり、何か気になることがあったら会社に連絡しなさい」と声をかけて送り出すようにしています。

雇用は守るが、賃金は我慢だ

21年10月に緊急事態宣言が明け、移動が全面的に解禁されたことは、航空業界にとっても非常に明るい話題でした。

国内線の旅客数はコロナ前と比べて10月は4割、11月が5割、12月が6割と着実に戻ってきています。一方の国際線は、いまもコロナ前の7パーセント程度。こちらはオミクロン株の感染状況いかんにかかってくるとみています。一時は国が定めていた1日の入国制限も3500人から5000人に緩和され、入国者の自宅待機期間も2週間から3日に短縮されていたのですが、再び厳しい規制が復活し、外国人の入国は原則禁止になりました。当面は厳しい制限が続きそうです。

ANAグループは、2022年3月期の連結業績予想が1000億円の赤字。20年度から2年連続の赤字となる見込みで、厳しい状況が続いています。コロナ禍の2年間をあらためて振り返ると、思いのほか長い、というのが率直な感想です。

コロナ禍の直前までは、東京五輪やインバウンド需要のさらなる拡大に備えて採用を増やし、新型航空機にかなりの投資をしてきましたが、国内線・国際線とも旅客需要が激減しました。

このかつて経験した事のない危機を乗り越えるには、一時的に小さな会社になって、コロナのトンネルを抜ける必要がありました。当初、20年度の赤字は5000億まで膨らむと予想されていました。直ちに手元資金の確保に動き、まだ使える大型機材を売却しました。そうした状態で社員を守るため、徹底したコスト削減に取り組んだのです。社員の他社への出向もひとつの施策でした。

私は「雇用は守るが、賃金は我慢だ」と、役員報酬をすぐに減額し、管理職の賃金も最大で15パーセントを削減。ANAの労働組合にも給料の5パーセントカットを提案し、夏と冬のボーナスもゼロにしたりするなど、社員には我慢を強いることになりました。

社内で希望退職者も募り、21年度、22年度はパイロットや整備士などを除き新規採用も停止。ANAブランドの航空事業に携わる従業員を、25年度末までに9000人規模で縮小する予定です。

対話の大切さに気付いた

その一方で、私はこれまで12回にわたって社員向けのメッセージを発信し、「危機感を持とう。しかし希望を忘れない。必ず将来は明るくなる」と社員を励ましてきました。言うまでもなく、危機の中でリーダーが発するメッセージは重要です。そのことを肝に銘じ私自身で一言一句を作成していましたが、やはり文章ではなかなか真意が伝わりにくいものです。

「小さな会社にする」という方針も、トンネルを抜けたらまた大きくしていくという意味を込めていたのですが、一部の社員には「小さいままなのかもしれない」と不安を抱かせたようです。昨年「コロナが明けた後で成果主義へと賃金体系を見直す」と言ったときは「さらにカットするのか」と深読みする社員もいました。

そうした経験を踏まえ、一方的にメッセージを発信するのではなく、「社員との対話」の大切さにも気付かされました。オンラインで社員と交流しても、最近の記者会見で見られるように、一回だけ質問してもらって、「はい、次の方」では対話になりません。これでは質問する人にも、聞いている人にも、不満や不安が残ってしまう。私の答えに対して、さらに社員が追加で質問できることで深いやり取りができ、それを聞いている人への安心感にも繋がります。

その時点での情報を、できる限り社員全員で共有することも心掛けました。会社の借金はどれくらいあるのか、現在の旅客数はどうなっているのか。タウンミーティングの場をあらゆる部署と設けて、そうした情報はできる限り開示するように努めました。インサイダー情報以外は、次の日に役員会で話す内容でも、社員に先に伝えることもあったほどです。

人件費の削減だけではなく、航空機売却によるエアライン事業の縮小にも着手しました。

ANAでは、航空機を約270機保有していましたが、運航回数は激減しました。機体を眠らせておくだけでも整備コストはかかりますし、減価償却費も生じます。やむなく古い飛行機から売らざるを得ませんでした。

ただ、このコロナ禍で世界中の航空会社が苦しんでいますから、売ろうにも買い手を見つけるのが大変でした。世界的にだぶつき、中古市場の価格も通常の半分以下になっていた。機体とエンジンを小分けにするなど工夫して売却を試みましたが、交渉は熾烈を極めました。部品メーカーや商社と粘り強く交渉して、なんとか大型機の35機を売ることができたのです。

オリンピック・パラリンピックに備えて発注していた航空機もありました。これは購入先のボーイング社やエアバス社に頼んで、納入の時期を調整してもらいました。成田―ホノルル便で導入するはずだった2階建ての超大型機A380の3号機も、20年4月の納入予定を昨年の10月まで延期。前払い金の支払いを先延ばしにするための対応でした。

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A380

背に腹は代えられない

社員の雇用を守るには、こうした自助努力だけでは不十分でした。「共助」や「公助」にも大きく助けられました。

共助としては銀行や株主からご協力をいただいて、資本を補強しました。コロナの感染が拡大した20年の春先には、すぐに手元資金の確保に動き、6月までの3カ月間で、銀行からの借入金と融資枠で約1兆円を用意。劣後ローンという仕組みも利用しました。劣後ローンは、利息が非常に高く、5年間は利息だけを返済しなければならない制度ですが、背に腹は代えられません。8000億円程度だった借金は1兆6000億円規模まで膨らみました。さらに20年末には、公募増資で約3000億円を調達し、その後、発行可能株式数も倍増させています。

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