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もし高校時代にスマホがあったら

曹洞宗僧侶であり、大学は愛知学院大学文学部宗教学科卒。そんな私は工業高校を卒業しています。進路指導室の大学資料の中に愛知学院大学がなかったり、先生が大学の存在そのものを知らなかったりしましたが、それは今日のお題ではありません。

情報技術科であったために授業でパソコンを使ったりもしたのですが、一人一台端末は、ポケコンでした。ポケットコンピューター、略してポケコン。(30年近くも前ですから、パソコンよりもFACOMでFortranでしたね)

このポケコン、BASICが動きました。だから、簡単なゲームを作る猛者も登場するのです。横80文字x縦6文字ぐらいだったかな
?そんな製薬の中でもクラスで大ヒットしたゲームもあり、中毒性が高かったため、休み時間のたびに熱中するという時期もありました。(ちなみにタイトルは「しまちゃんを探せ」)

Fortranでプログラムの基礎を学び、各自BASICで応用していたような。1から作ることが出来なくても、クラスメイトの作ったゲームを解析することで、十分な勉強になります。

これがもしスマホだったらどうなっていたんだろうかと想像してみました。

比較対象は、今のスマホです。性能十分、その気になればスマホ上でプログラミングも出来る、そういうスマホです。

きっと同じように、ゲームを作ったりして楽しんでいたことでしょう。SNSも利用するでしょうが、それ以上の楽しみがあるのですから、自然とSNS利用時間は最低限となるでしょう。

高校生の好奇心でもって、いろんな使い方を模索するでしょう。クラス内で情報交換をし、自分の気付かなかった使い方やアプリを知り、さらに活用の幅を広げたことでしょう。

たぶんね。

もちろん、そうならない、スマホで遊び倒してしまう生徒も出るでしょう。でも、それはスマホの責任とは思えません。スマホが無くたって、勉強より遊びが楽しければ遊んでしまうのは同じです。

スマホは何でも出来るのです。パソコンのように。使い方次第。学習アプリも豊富にあります。辞書も何冊だって入ります。好きな言語や分野の辞書・辞典を見ているだけで楽しいと思うあの感情は、今の子ども達だって同じはず。

私の上げる例があまりに貧弱です申し訳ないのですが、とにかく、勉強と思わず、楽しいと思えたなら、その分野では急成長できます。そのきっかけを誰かがわざわざ用意するというのはとても難しいことですが、パソコンやスマホは、自分でそれを見つける助けとなります。スマホならどこでも探求が出来るのですから、きっかけ探しにはもってこい。

パソコンを使うともっと効率的に知識を探求できることに気が付けば、パソコンまで使いこなしはじめることでしょう。

夢物語じゃないですよ。知識欲旺盛な若者にとっては当たり前に起こりうることです。そして、探求者となった若者にとっては、授業と授業の合間の10分間の休憩時間すら、貴重な時間となるのです。時間の貴重さを知るのです。

もっとも、その10分は、次の授業の予習をしろよと、私でも思いますけれど。
せっかく高校に行ってるんですから、教えてくれることは全部受け取っておかないともったいない。

パソコンを持ち込めていたならば、私は休み時間は絶対プログラムを書いていたはず。家に帰って取りかかるのが待ち遠しい毎日を送っていましたから。

パソコンもようやく、勉強に必要なものと認識されるようになりました。きっと近いうちに、スマホも勉強に必要なものと認識されることとなるでしょう。実際に、高校の授業に取り入れられ始めています。パソコンの配備が遅れているための応急処置的な対応ですが、成果は上がっているようです。パソコンと併せて使えるようになったら、さらに効果が上がるはず。

スマホは勉強に必要ないなんて言っていると、使いこなしを分かっていないことを露呈することになり、若者たちからあなたのスマホは宝の持ち腐れね、と言われてしまいそうです。負けないように私も頑張らねば。

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