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体験談としての即応体制の違い

消防団に入っていた頃は、いつ何時出動になるか分からないので、常にどこかで気が張った状態でした。

不思議なのは、お寺も同じ状況なのに、気の張りようが違うんですね。訃報が入れば自分1人で赴き、全ての決定権を持った状態であるというのに対して、消防団の出動は複数人であり、現場では本部の指示に従って、的確に行動しなくてはならないという、自分でコントロールできないことばかりというのが、その違いの理由でしょうか。

分団長をしていたのですが、分団員経験はゼロでしたので、基本の基が分からない状態で就任当初を過ごしました。各種研修のおかげで何をどうしたら良いかというのはだいたい分かるようになったのですが、現場経験はありませんから、実際に現場に立った時に、本部の指示を受けて分団員に的確に指示を出せるのだろうかという不安が常にありました。

訓練の時には副分団長もそばにいてくれますが、実際の火事に駆けつけてこれるかどうかは仕事の現場次第。分団員は頼もしいメンバーばかりでしたが、全体の動きを把握できる立場にいる人間がちゃんと指示を出せなかったら、一体どうなってしまうだろうと、心配ばかりしていました。

幸いにも、火事はあったものの先頭に立って消化活動に当たる機会はなく、任期を終えることができました。最終日、3月31日から4月1日に日が変わった時の気の緩みようは、なかなか忘れることができない感触となっています。

お寺もそれなりに不安はあります。1人で決めなくてはならないというのは、今では心にプラスに作用するようになっていますが、初めて枕経に伺った際は、緊張でどうかなりそうでした。

お葬式が出来ると、少なくとも葬儀の日の予定は全てぶっ飛んでいくので、今日だけは電話が鳴らないで!と思うこともしばしばです。

ただやはり経験でしょうかね。いろんな場面に対処できるようになってきて、その経験が気持ちを平穏に保ってくれるようになってきました。まだまだ保てない時もありますが。

まだお目にかかったことのないお檀家さんが、おそらく50軒とか、もしかしたらそれ以上あるんです。そういうお宅からの訃報は、普段よりも緊張します。先方はお寺参りの際に私と会っている可能性はありますが、私は初対面の感覚なのです。こんなことなら来客を事細かにメモしておけばよかったと思うこともありました。

人見知りしますから。私は。

その人見知りが、それを押さえ込んで枕経に向かうのです。もうね、それだけでも褒めて欲しい。

この即応体制は、少なく見積もってもまだあと20年は続きます。体を丈夫にして、いつでもお応えし続けて、解放される日を迎えたいものです。(ただ、休暇は取れるようになりたいなと、考えてはいます。)

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