【夢小説について】”寿司屋”は何故”回らない寿司屋”になったのか

 以前、某教育番組を見ていた時に「以前は”寿司屋”と”回る寿司屋”と言う対比で呼ばれていたのに、いつの間にか”回らない寿司屋”と”寿司屋”と言う風に呼ばれ方が変化した」みたいなことをやっていた。確かに、私が小学生の頃(約二十年程前までは)、板前さんが握る寿司屋を”寿司屋”と呼んで、レーンで運ばれてくるすし屋を”回る寿司屋”と呼んでいた。なぜ”寿司屋”は”回らない寿司屋”へと変化したのだろうか。テレビを見て「確かに」と思ったけれど、結局そこでは答えを明示されなかった。

 ……と言った感じで、タイトルも入りもちょっと社会学っぽい感じになったけれど、中身は【”夢小説”と”夢”】についてしか語っていません。正直寿司屋が回ろうが回らまいが、この記事とは関係ないのであしからず。

 さて、先日Twitterで非常に興味深いツイートと出会った。

 私は十五年程”夢小説”と言うジャンルに住み着いている。つい最近Twitterの”○○プラス”と言うジャンルと出会ったのだけれど、このタグを巡れば巡るほど、今の”夢”の主流となっているらしくものすごくビックリした。もう、異文化と出会ったような衝撃。「私の知っている”夢”と違う。これが”夢”なの?」って。

 私の思う”夢”は、先程のツイートに掲載されているチャートの左にある創作形態のもの。夢小説が一大ムーブメントを起こしていた(って程ではないけれど、割かし流行っていた)頃、”夢”と言えば主に”夢小説”のことを指していた。今のようにSNSはなく、個人でサーバーをレンタルしてホームページを運営し、創作した夢小説をアップロードする。
 しかし、時代の流れとともに私の思う”夢”はいつの間にか形を変え、様々な表現方法のものを一括りにして”夢”と言われるようになっていた。何なら、”夢小説”は”夢”という大きなくくりの中の一つ、と言った分類になるのかもしれない。では、何故”夢”と言うジャンルは”夢小説”から形を変え、ジャンルの総称として使われるようになったのか。私が思うに、パソコン・モバイル端末の普及率とSNS文化の発展が大きくかかわっているのではないかと思う。

画像1

 上記の画像は、情報通信機器の普及率をグラフに表したものである。パソコンの普及率は2013年を境に再び減少傾向にあるが、スマートフォン及びタブレット端末は統計当初よりずっと右肩上がりで伸びている。以前なら「通信機器と言えばパソコン」が主流だったが、スマートフォン等のモバイル端末の登場により、今や一人一台の時代となり新たな主流となった。

 ここで思い返して欲しいのが、昔は「パソコンがあって、インターネットを使える環境でなければ”夢小説”には出会えない」という事。つまり、今ほどインターネットを気軽に使える環境ではなかった昔、”夢小説”と言うジャンルは限られた人にしか閲覧することのできない、クローズな文化だったと言える。しかも、自ら”夢小説”を公開しようと思ったら、HTML等のコーディングについて、ある程度知識を持ち合わせていなければならない。趣味の一つとは言え、今思えばなかなかにハードルの高い文化だったと思う。

 しかし、今”夢”と言われるジャンルが主に展開されているフィールドは、SNSや専用サービス等の「自分で環境を整えなくても簡単に始められることのできる場所」である。
 例えば「#○○プラス」と言ったタグが主に使われているTwitterは、モバイル端末とインターネットに接続できる環境があればそれだけで簡単にサービスの利用ができる。他にも、pixivやドリームノベルなども同様である。

 以前は「パソコンがあってインターネットが使えなければ楽しめないコンテンツ」だったので、今に比べればジャンルは多岐にわたるものの狭いコミュニティー内で楽しんでいた。だから、ある程度「こういうものが”夢小説”として定義されるよね」と言った暗黙の認識、ルールが存在していた。
 しかし、今は様々な場所で、様々な形でそれぞれが”夢”を楽しんでいるので、昔のような囲いがなく「これが”夢”だ!」と言う共通認識を持ちにくくなった。だから、”夢”に対する明確な定義が徐々に無くなってゆき、「キャラクターと架空の人物が絡む創作物」全般を”夢”と呼ぶようになったのではないかと思う。

 夢と共に人生を歩んできた夢女からしたら「そんなの”夢”じゃない!」と思うのが正直なところではある。(だって、青春時代を過ごした私の知っている”夢”と違うじゃん。)しかし、時代の流れとともに形を変えてしまうのは致し方ない事だと思う。”夢小説”が昔の勢いを失った今、細々とジャンルの一つとして生きていられるのも、”夢”の定義が拡大され「楽しみ方の一つ」として存在しているお陰なのかもしれない。

 で、最初に戻る”寿司屋”の話。
 何故”寿司屋”が”回らない寿司屋”と呼ばれるようになったのか、その答えはやはり時代の流れではないかと思う。以前は板前さんが握らなければ食べることのできなかった寿司も、技術の発達により「寿司を食べに行くなら回転寿司」と言う図式に変化していった。
 それでも”回らない寿司屋”が減らないのは、やはり職人さんがいて、それを愛する人がいて、文化として発展を遂げているからだと思う。

 歴史の長い寿司と夢小説を一緒にしたら、そりゃもう方々から怒られること必至ではあるけれど、どんなものでも形が変化していく根底には時代の流れ、技術の発達があると思う。

 これからも”夢”と言う広い海の中で、私の小さな”夢小説”のいかだはぷかぷかと浮かび続けているんだろうな……と思った。

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